強迫性障害を乗り越えた先に

強迫性障害が治る時、それは新たなスタートです。

この苦悩には意味がある ーフランクルの教えー

こんにちは。もち丸です。

ゴールデンウィークが終わってしまいましたね。とは言えコロナ感染が怖いので、予定は入れずのんびり過ごしていましたが。

ただそれだけでは気がおかしくなるので、先日近場の神社まで走っていき、お参りをしてきました。

人がいない神社は少し怖い印象もありましたが、いい気分転換になりました。

これからも感染に気を付けて過ごしていきましょう。

 

 

さて今回は、精神科医フランクル」について述べたいと思います。

フランクルは世界的に有名な精神科医で、彼の著作である「夜と霧」は世界中で読まれています。

最近このフランクルの著書を何冊か読み、彼の神経症に対する考察をとても興味深く感じたので、記事にしてみました。

 

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1、フランクルってどんな人?

フランクル精神科医です。フロイトユングアドラーと並ぶ精神医学界のビッグネームで、私が以前ご紹介したアドラーに師事していたそうです。

 

彼は第二次世界大戦下、ナチスにより強制収容所に入れられましたが、最後まで生き延びた人です。

彼の著作は多くありますが、特に有名なのが冒頭で少し紹介した「夜と霧」です。その中で地獄のような強制収容所で、精神がどのように変化していったかを記していて、胸が痛くなると同時に、人間の持つ強さのようなものを感じる内容でした。

 

 

2、フランクルの言葉

「苦悩は一つの業績たりうる」

 

私はこの言葉を聞いた時に、衝撃を受けると共に大きな安堵を感じました。

私にとってはこれまでずっと苦悩の連続でした。以前は強迫性障害に苦しみ、今はこれまでの不満、これからの不安、母の病気等、苦悩の種が尽きることがありません。

 

まだフランクルの考えを十分に理解出来ているわけではありませんが、フランクル「意味」というものを非常に重要視しています。

人は常に意味を求める存在であり、それこそが「人を人たらしめているもの」だというのです。

 

フランクルは収容所での精神状態の変化について述べていますが、収容所において人の精神状態は、様々な段階は経て動物に近い状態まで退行したそうです。

「後どのくらいで今日の作業が終わるのだろう」、「スープに大きな具が入っているといいなぁ」等、刹那的な考えしか浮かばない一方で、「自分は何の為に生きているのか」等のような、人間的な悩みを持つことに対して強烈に焦がれたそうです。

そして人は辛く苦しい状況でも、意味を見出すことが出来れば耐え抜く存在であるとも言います。強い人間が生き延びるのではなく、意味を見出すことが出来た人こそが、最後まで耐えることが出来るのだと。

 

 

世間的には「悩むことに意味はない、行動しなければ意味はない」と言われますが、フランクル「この苦悩こそが人だけが持つものであり、正面から苦しむ勇気を持っている証」だというのです。

(厳密には苦悩するだけでOKという訳ではありませんが)

 

他にもフランクルの言葉には、とても素敵な言葉があります。

・「自らの苦悩を踏み台とする者、さらに高きところを歩むなり」

・「苦悩は業績であり、成長です。しかしまた苦悩は成熟でもあります。」

・「苦悩への勇気、それこそが重要なのです。苦悩を引き受けること、運命を肯定すること、運命に対して態度をとることが大切」

(「苦悩する人間」:株式会社春秋社発行 より)

 

苦悩の渦中にある人には、とても救いになる言葉ですね。

 

 

3、自分の病気の意味

私はこれらフランクルの言葉を聞いて、思ったことがあります。それは「俺が病気になったことに何か意味を見出せるのだろうか」ということです。

 

私は苦しい時期に本当に色々なことを考えました。そしてそれらについて多くの人と話す中で、共感力や思慮深さが磨かれていったと思います。

ですが「でも...」と思ってしまうんです。

そういった部分って就活ではなかなかPR出来ないんですよね。面接までいけばその部分を評価していただくこともありますが、書類上ではやはり経験やスキル、資格等が評価されますからね。

 

でもこの前改めて自分の経歴をもう一度棚卸したところ、「苦しい中でも成長しようと頑張ってきたな」、「この仕事とこの仕事にはこんな共通点があるな」ということに気付いたんです。

同時にやっぱり過去は変えられないという悔しさを改めて感じ、それでも意味を見出すことが出来た時、辛かった過去を捉え直すことは出来るのだと思いました。

 

それとフランクルの本には、私の病気発症に関する興味深い洞察がたくさんありました。

例えば「過度な自己観察は私達を妨げる」といった表現です。

そして具体的な症例に関する考察を読んだ時に、「これだ!自分は変じゃないって誰かに言って欲しかったんだ」と思い出しました。

(自分の強迫性障害発症に関する記事で、この辺りのことを書きました)

yoneson.hatenablog.com

 

このことにもっと早く気付くことが出来ていれば、ここまで長く苦しまずに済んだかもしれませんね。

 

 

4、全てを無くしたわけではない

「過去は関係ない。これからが大事だ」ということは、間違いない真実だと思います。けれどもフランクルは過去を軽視しているわけではない印象を持ちました。その辺りに関して自分のことを少し振り返ってみます。

 

元気な時の自分は消えていない

私は最近昔のことを良く思い出します。というか思い出せるのです。

以前は強迫性障害を発症した前後の記憶は曖昧でした。そして当時の苦しかった時のことは、あまり思い出したくありませんでした。

ですが最近は病気になった時期、病気で苦しかった時期の記憶を普通に思い出せるのです。もちろん積極的に思い出したいわけではなく、「ああしておけば」という後悔も多いですが、それによって症状がぶり返すことはありません。

これは病気を克服し、距離を置くことが出来たということだと思います。

 

ですので今症状の真っただ中にいる人も、ほんの少しだけでもいいので安心してください。

病気で苦しんでいた時の苦しい思いや記憶は消えません。でも病気になる前の元気だった頃の自分の記憶や感覚も消えずに、自分の中にしっかりと残っているからです。

 

思春期は激動の時期

そしてもう一つ。多くの専門家の意見を聞いたのですが、16~18歳頃の時期に神経症を発症する人は多いそうです。

この時期は体も心も大きく変わる時期です。そして自分を取り巻く環境も大きく変わり、自立の為にもがく時期です。人との関係や自分の在り方について悩むようになる時期でもあります。

 

私と言えばこの時期は、神経症がある無しに関わらず戸惑う事が多かったように思います。私は毎日部活三昧でしたが、友人はバイトをしたり、彼女が出来たりと、私から見ると少しずつ自分の世界を作っているように見えていました。

そして自分だけが進めていない気がして、色々と飛び出そうとはするものの、親やこれまでの行動範囲から離れることが怖くて、ブレーキとアクセルを両方とも力強く踏んでいたような気がします。

 

また肉体的にもこの時期はホルモンバランスが大きく変わる時期だそうです。

このホルモンは少量の変化でも感情や体に大きく影響するそうです。そのホルモン量が大きく変わる時期というのは、今ならあまり気にならないことでも、とてつもなく気になってしまう。そんな非常に不安定な時期なのかもしれません。

 

 

5、意味を見出せた人達

私は障害や病気を抱えた人の話や本を読んだとき、心から彼らのことを尊敬します。それに比べて「一応五体満足の自分は何をやっているんだ」と情けない気持ちにもなります。

彼らはフランクルが言う「意味」を見出すことが出来たのでしょう。あるいは「今ここからどうしていくか」に切りかえることが出来たのかもしれません。

 

確かに障害も病気も無い方がいいに決まっている。でもなってしまった。そこは変えられない。ならばこの「何か」を抱えた私はどうすればいいのか。その答えを見つけた人だけがあんなに明るく笑えるんだなと思います。

 

そういう意味で戦争を経験した人から、「戦争中は悩む暇なんてなかった。食っていくだけ精一杯だった。そんなのは贅沢な悩みだ」と言われれば、私達現代人は反論出来ないかもしれません。

 

でも私達が感じるような苦悩は、決して贅沢な悩みではないと思います。

以前精神腫瘍科の先生に相談した時、「あなたが欲しいと思っているもの、例えばお金、地位、ルックスとかね。でもそれを全部持っている人でも死を選んでしまうことがある。彼らは自分の人生にイエスと言えなかったんだね」とおっしゃっていました。

その言葉を聞いて、私はフランクル「それでも人生にイエスと言う」という言葉に興味を持ったのです。

 

 

6、完璧を追い求めてはいけない

そして今の私が強く思うのは、「私達は決して完璧を目指してはいけない」ということです。

 

もちろん仕事においては完璧でなければならないこともたくさんあります。

私はどちらかというと完璧主義ですが、完璧主義は能力が高いことを示しているわけではありません。

 

私が強迫性障害を発症した当時を振り返ると、相当な完璧主義的人間だったように思います。

でも最近思うのは「人生はただ一つの正解を目指して進むゲームではない」ということです。(そうであってたまるか!)

フランクルも「人生の意味を問われて答えることは出来ない」、「今、この特定の状況で出来る最善を考えるしかない」と言っています。

人間ってやっぱり思いがけない事態にあうことが、どうしても起こりますよね。

 

「なんで俺だけ」、「これさえなければ」…

 

そこから抜け出すには、

①起こってしまった事態を認める

②そこから何をしていくか、今の状態で何が出来るか

という視点にシフトしていくしかないんでしょうね。なんかむかつきますが(笑)。

 

「自分がコントロール出来るキャパ」と「自分がコントロール出来ない出来事」は、明らかに釣り合いません。

やっぱり面白くないことに、自分ではコントロール出来ない事の方がはるかに多く、それら全てをどうにかしようとすると、実際の生活を犠牲にするしかありません。

 

強迫性障害はまさにそのような状態を引き起こします。

完全であろうとしてもそうはならないからこそ、強迫行為で一時の安心を得るしかない。でもそのサイクルに終わりはないんですよね。

 

 

7、最後に

私は苦しい時期、苦悩を通して得られたことはとても大きいと思っています。でも意味があった時間とは言い切れない程、苦しかったです。

 

ただ意味を見出すということは、それが事実かどうかというよりも、自分が納得して自分の中に落ち着ける場所を作れたということが大事なのだと思います。

真実こそが自分を救うのだと思います。

 

 

最後にこのブログを書いている時に、自然と自分の中に浮かんできたことを書いて終わります。

「苦しいし怖いし不安だけど、ここで生きていくしかないから、ここで輝きたいんだ!!」