強迫性障害を乗り越えた先に

強迫性障害が治る時、それは新たなスタートです。

再び神経症の入り口に立った!

皆さんこんにちは、もち丸です。

今回は久々に神経症に対するかなり根本的な記事を書くことが出来ました。内容は発症当時を振り返ったものではなく、別記事で触れていた眼鏡作成をきっかけとして、最近「これが神経症の入り口か」と思うような状態に出会った時のものです。

この時これまでの神経症に対する経験と知識がなければ、引きずり込まれていたと思います。

それでは本文をご覧くださいませ。

 

 

 

1、きっかけは眼鏡作り

私はこのブログで眼鏡作りについての記事も書いています。そして今回のテーマである神経症の入り口」を感じたのは、新しい眼鏡をかけ始めてから1ヶ月程経った頃の話です。

 

今回作った眼鏡は今のところかなり調子が良いのですが、眼鏡が完成した後に1度フレームのフィッティング調整をしてもらったことがありました。そして調整後眼鏡をかけた時、こめかみに「グッと来る」感覚を感じるようになってしまいました。

ただ今ならわかるその原因はフィッティング調整が問題だったのではなく、レンズの中心以外で見たことが原因による違和感だったのです。(ここでは詳細は省きますが、レンズの中心以外で見ると、左右差の大きい人は違和感を感じやすいそうです)

今は当時より見方のコツがわかってきた為違和感も小さくなりましたが、左右差の大きい眼鏡は非常に繊細なもので、当時(1ヶ月程前のことですが)はそのことがわからず、また新しい眼鏡にも慣れていなかったのだと思います。

ただ左右差の大きい眼鏡やプリズム矯正が入った眼鏡は、人によっては違和感を感じやすいそうなので、完全に気にしすぎとは言えないかもしれませんが...

 

ただこのきっかけが神経症の入り口を見る、トリガーとなりました。

眼鏡屋さん曰く「0.5mm程の調整」だったのですが、当時の私はそのフィッティング調整が原因だと思い込んでしまった為、「こんな0.5mmの調整で影響が出るなんて、本当に眼鏡ってわずかな変化でも影響が出てしまうんだ」と思うようになりました。

 

 

2、段々眼鏡のフレームが気になるように

この眼鏡屋で眼鏡を作った際、レンズの中心が目の中心と一致するように、かなり高い精度でフィッティング調整を行ってくれました。

ただ上で述べたように、「0.5mmの調整でも影響が出る」と思うようになった私は、ちょっとしたことで眼鏡のフレームがわずかに歪み、その結果見え方に影響が出てしまうことを恐れるようになっていきました。

 

例えば「突っ伏して寝た時に腕がフレームに当たった時」、「手を上げた時に眼鏡のフレームに手がガチャッと当たった時」等です。そしてその度に「今フレームに手が当たって、少しフレーム歪んだんじゃないか」と心配するようになっていきました。

そして一旦気にし始めると、その後は見え方の違和感を強く感じるようになっていきました。

 

冷静に考えたら少し手が当たったくらいで、フレームが歪むというのは考えにくいですよね。それに毎回眼鏡の中心と目の中心がぴったり一致するわけでもありません。それでも一旦気にし始めると「他の人には影響がなくとも、不同視である自分にとってはほんの少しの歪みでも影響してしまうんじゃないか」と心配する考えが拭えなくなっていきました。

 

 

3、100%の安心を得る為に

そして「フレームが曲がったんじゃないか」と心配になる度に、「当たった時の状況を最初から思い出し、そんなに強く当たってないから大丈夫」と納得・安心する為の思考を繰り返すようになっていきました。

ですがその安心を得る為の思考で納得が出来なかった時、あるいはいったん納得出来た後でも時間が経った時、先程の思考によるやりくりを何度もやりたくなるのです。

「さっきは本当に軽く当たっただけだし、大丈夫」「少し熱くなっただけで曲がるなら、夏外に出ただけで曲がるはずだし大丈夫」等のように...

 

その時思考の粗が見つかると、「やっぱりああだったんじゃないか」と心配し始め、より強く納得する為に、何度も何度も思考によるやりくりをしたくなっていきました。

でもその時に気付いたのです。

「これは強迫観念と強迫行為そのものじゃないか」と。

 

 

4、踏みとどまることが出来た

本当に危ないところでした。

これは間違いなく神経症の入り口です。この時経験と知識が無い状態で、安心する為の思考のやりくりを続けていけば、恐らく神経症強迫性障害に突き進んでいたでしょう。

 

そして今神経症の入り口に立っている自分に気付いた時、私が高校生の時に神経症を発症した頃の記憶を思い出しました。そしてもう一つ思ったことは神経症の入り口だから気にしては駄目だ!」という禁止ではなく、「自分はずっと見え方に苦労してきたのだから、気にしてしまうのはしょうがない。でも昔はこうして深みにはまっていったんだな」という考えでした。

そしてそこには昔の自分を少し労わる気持ちもありました。そして「あ~、どうやら自分の性格的傾向は昔から変わってないんだなぁ。でもまぁいいか。昔と違ってそれに気付くことが出来たんだから」と、諦めと自信二つの気持ちが湧きました。

例え根っこの性格は変わってなくとも、散々苦しんだ経験から自分の現状に気付き、踏みとどまることが出来たのです。

 

 

5、経験と知識がなければ止まれない

このように私は改めて神経症の入り口を体感することとなりました。今回は自分で気付き踏みとどまることが出来ましたが、なんの経験も知識がない状態ならば、恐らく安心を得る為の思考のやりくりによる確認行為を、何度も繰り返していたでしょう。

 

私は17歳頃から10年以上神経症強迫性障害に苦しんできました。最初は自分がどういう状況にいて、何故苦しいのかを理解することも、人に説明することも出来ませんでした。ただカウンセリングやリワークプログラムに参加したり、精神医学の本を読む中で徐々に自分が何故苦しいのかを理解していき、そこから徐々に回復が始まっていったような気がします。

特にリワークプログラムでは「自分の症状のことを話す機会」、「人の症状を聞く機会」が何度もありました。そして何度も話すうちに、徐々に自分の状況を言葉にすることが出来るようになり、自分の症状を頭で理解出来るようになりました。

 

ただ当然のことながらほとんどの人が初めて神経症の入り口に立った時、神経症強迫性障害に関する知識を持っていません。その為「今自分がやっていること」がどのようなもので、どうすればいいのかは分かりません。その為初見殺しのようなもので、冷静に対処することは難しいと思います。

ですが今自分を振り返っても思うのですが、今神経症に苦しんでいる人にも、必ず神経症の入り口があり、そして神経症に引きずられていった経緯があるはずです。

もちろん入口で引き返せた人もいるでしょうが、私のように神経症に突き進んでいったら、回復にも時間がかかるかもしれません。

 

 

6、目に始まり、目に終わる

私は神経症発症時「眼鏡を作ったこと」片頭痛の前兆である閃輝暗点をきっかけにして、目のことが気になるようになり、神経症に突き進んでいってしまいました。

 

そして私は目が気になるという精神的な領域の問題が落ち着いた後は、不同視という身体的な問題に長く悩まされることになりました。そしてその後も片目が若年性白内障になったりと、私のこれまではずっと目に悩まされてきたように思います。

そして「眼鏡作り」で改めて目の問題に向き合ったことで、見え方に長年苦しんできたという問題に、ひとまずは落ち着きそうな気配が見えました。

まさに私のこれまでの苦労は、「目から始まって、目で終わる」といった感じです。それにしても時間かかりすぎだよなぁ。

 

 

7、最後に

今回思わぬ形で神経症の入り口を感じることになりました。

神経症の回復には人によって様々な段階を辿ると思いますが、共通して大事なことは「自分の状況を頭で理解する知的理解」だと思います。

もちろん頭では分かってもどうにもならないということは、神経症強迫性障害の辛さの一つです。

そして知的理解に加えて大事なことは、「あ~、これこれ」というような、実感を伴った「腑に落ちる」感覚だと思います。納得感とも言えますね。

 

神経症は人によって様々な発症理由があると思いますし、医師の中でも様々な理論が唱えられています。私達医療の素人にはどれが正しいのかはわかりません。

結局は自分が納得出来るかどうか、そしてそれによって少しでも楽になれるかどうかという部分が、とても大事なような気がします。

「あの病院のこの治療では治らなかったけど、別の病院では治った」という人もたくさんいるでしょうから。

 

今回はこれまで散々苦しんだ結果自分の血肉となった経験が、今の私を助けてくれたのだと思います。危ないところでしたが、不思議な経験となりました。