強迫性障害を乗り越えた先に

強迫性障害が治る時、それは新たなスタートです。

誰もが立ち止まる可能性がある社会だからこそ

皆さんこんにちは、もち丸です。

今日は私が常日頃思っている、「誰もが再スタート・方向転換出来る社会であって欲しい」ということについて、書いていきたいと思います。

その理由は自分の神経症や就活、母の看護を経験して強く感じたことからきています。

その期間を通じて、「人はやっぱり社会と関わっていくことでしか生きていけず、また社会と繋がることを強く望む生き物なんだな」と、実感しました。

 

 

 

1、自分が思っていた「当たり前」

私は18歳の時に神経症(強迫性障害)になり、それ以来ずっと人生の本流に乗れずに来たという思いがあります。

ただ後悔や恨みのようなものが大きいのも事実ですが、私はまだ恵まれている方なのだとも思います。お金がかかることはあまり出来ませんでしたが、なんだかんだで衣食住は確保出来、支えてくれる家族もいたわけですから。

 

私は昔から「こうあるべき」という思いが強かったように思います。

高校を卒業して、大学に入り、新卒で入社して出世しながら、結婚、子供が出来、家を買う…

そんな風に進むことが自分にとっての当たり前の未来だと思っていました。

でも朝ドラ「カムカムエヴリバディ」でのセリフのような、いわゆる「日向の道を歩いていく」ことが出来なかったなぁと思ってしまいます。

 

 

2、満たされない中で気付いたこと

私は神経症になって良かったとはもちろん思いません。ですが病気になったことで多くのことに気付き、世界が広いことに気付きました。

 

私には体調を崩さなければ、絶対に知り合うことがなかった人がたくさんいます。

また世の中には様々な理由で休職や離職を余儀なくされた人や、障害や困難な状況を抱えながらも、自分に出来ることを見つけ、磨き、必死に生きている人がいることにも気付きました。

 

それは単純に多様性という言葉では表現出来るようなものではないように思います。

望む望まないにかかわらず、様々な状況に人は落とされ、また時には自ら向かうこともあります。

そのことは「普通に」過ごしていたのでは、気付くことはおろか気にすることすらなかったかもしれません。

 

 

3、誰もが立ち止まる可能性を抱えている

人生において何らかのアクシデント(事故・病気・家族の事情等)により、立ち止まることや方向転換を余儀なくされることは、本当に誰にでもありうることだと思います。

 

若い時、例えば学生時代では、立ち止まってしまう人はクラスの中で一人だけかもしれません。クラスの仲間は心配することはあるとはいえ、自分は問題なく進める人として進んでいきます。

ですが誰もが年を重ね、多くの経験を積む程に、アクシデントに遭う可能性は上がっていきます。そして誰もがある日突然「これまで通りの流れ」から外れてしまうことがあるのだと思います。

 

そんな時心配してくれる人もいるとは思いますが、多くの人にとってはやはり他人事です。自分のことに忙しく、余裕があまりないのかもしれません。

「大変だね。でも自分には何も出来ないよ」と思うのではないでしょうか。

 

そしてその日を境に、「それまで他人事だと思っていたことと、向き合わざるを得なくなる」のだと思います。

やっぱり自分が思うようにならない環境に置かれて初めて、当事者意識を持つのではないでしょうか。

 

私も自分のこれまでの経験を通じて、「誰もがある日突然そのような事態に陥ることがある。だからこそそのような事態にあったとしても、居場所があり、再出発出来る。そのような社会であってほしい」と心から思うようになりました。

 

 

4、誰もが社会に参加している

ところで今回この記事を書くにあたって、印象に残っていることがあります。

以前本屋に行った時のことなのですが、お店に障がい者施設の方が作ったしおりが販売されていて、その時「これを買えばその人にお金が流れるんだな」と思ったのです。

その時初めて「何を買うかを選ぶということは、誰にお金を流すかを考えるということなんだ」と気付いたのです。

 

もちろん私達にとって、商品やサービスの価格が大事だということは言うまでもないことです。

ですが仮に商品が誰かが搾取されながら作っている物ならば、その「悪の親玉(?)」にお金が流れるということです。

私はそんな人ではなく、丁寧に仕事をしている人、思いを込めて物作りをしている人にお金が渡って欲しいと思います。

 

資本主義社会についてここで触れることはしませんが、やはり人にとって社会と繋がり、社会の流れに関わり、世の中を回すことを通じてお金を得ることは、食っていく為であることはもちろん、人として当然の欲求(要求)なのだと思います。

 

 

5、つまづいて初めて気付くこと

下手な例えですが、例えば人は足を悪くして初めて、多くの人にとっては何でもない段差が邪魔だということに気付きます。あるいは逆に社会の中のバリアフリーや、助けてくれる人の存在に気付くことになるのかもしれません。

 

とにかく私は今再スタートをしようとしている人間です。その要因として自分が原因の部分もありますし、どうしようもなかったこともあると思います。

でも現実として今ここからやっていくしかないという、絶対的な事実があります誰にも代わってもらうことの出来ない、絶対的な部分です。

私はこれから身をもって、「つまづいても再スタートは出来る」ということを、自分で証明していかなくてはなりません。

学生時代なら「良い意味で」周りの流れに乗っていくことで、進んでいける部分があります。ですが私は今一人でやらなければなりません。

つくづく学生時代というのは、気付かなかっただけで、色々恵まれていたのだと思います。

 

 

6、主観だけでは見えないこと

人は恐らく年をとればとるほど、様々なものを多かれ少なかれ抱えていくことになります。もしかするとこれまでも自分が気付いていないだけで、苦痛や悪条件の中で、必死に生きていた人が自分の周りにいたのかもしれません。

皆今ある自分なりの制限された条件・不自由さの中で、なんとかもがいているでしょうか。

決して世の中はテレビやSNSで表されるような、綺麗なキラキラしたものばかりではないですよね。

 

もし「障がい者」と「健常者」を分けるようなボーダーがあるとするならば、多くの人が無意識にしろこちら側(健常者側)にいるという安心感のようなものを感じているのだと思います。

ですがその境界線は本当に曖昧なものです。そしてその「こちら側にいる安心感」は、ある日突然崩れ去ってしまう可能性があります。誰もがです。

だからこそボーダーの向こう側にいる人達は、自分にとって関係ない人ではありません。

 

とは言え物事は「障害を持っているから大変」というような、単純なものではないようにも思います。もしかしたら自分にとって向こう側にいると思っている人が、自分より充実した気分で日々を過ごしているのかもしれませんから。

 

 

7、最後に

私は神経症(強迫性障害)にかかってから、また治った後も満たされない想いをずっと感じています。

だからこそ「これまで通りに動けない自分」、「何かを成せていない自分」であったとしても、「人は人と繋がって、社会に関わって生きていきたいと思う存在」であると、強く思います。

だからこそ誰もがつまづいても再スタートが出来る、しやすい社会であって欲しいなと心から願っています。自分の為にもね(笑)