強迫性障害を乗り越えた先に

強迫性障害が治る時、それは新たなスタートです。

苦しみ続けた人が持つ大きな力

皆さんこんにちは。もち丸です。

現在12月ということもあり、年末感があちこちで感じられるようになってきましたね。

私は去年、一昨年は社労士試験の勉強をしていた為、年末年始はひたすら机に向かっていましたが、今年は少しはゆっくり出来そうかなと思っています。

とはいえ来年3月に年金アドバイザー試験を受けることに加え、社労士登録の為の事務指定講習も始まりますので、また少しずつ忙しくなりそうではありますが。

 

さて前回の記事では社労士試験勉強のモチベーションについて書きました。

その記事を書く中で、自分がここまで勉強を頑張ることが出来たのは、「長く苦しんだ中で溜まっていったネガティブな気持ち」が、エネルギーに変わってくれたからだと改めて思いました。

そこで今回は「苦しみ続けた人こそ大きな力を持っている」ということについて、思ったことを書いていきたいと思います。

 

 

1、ずっと感じてきた悔しさと無力感

強迫性障害に限らず、長い時間苦しんだ人は以下のような気持ちになって絶望しているかもしれません。

  • 「この病気さえなければもっと出来るのに」
  • 「これのせいで動けない」
  • 「周りは進んでいるのに自分だけが進めていない」...

 

私も強迫性障害神経症になってから、長くこのような思いをずっと抱えてきました。そして思うように動けない自分をずっと責め続けてきました。

 

 

2、悔しさは力

だからこそ病気が治った時は治ったという喜びと、有意義な時間を過ごせなかった強烈な悔しさを感じました。ですがこの悔しさはとてつもないエネルギーになり得ます。

私が社労士試験の勉強を続けることが出来たモチベーションはいくつもありますが、この悔しさは大きい理由の一つだと思っています。

 

私にとってこの悔しさってとてつもなく大きいんですよ。ですから悔しさから来るエネルギーも人並み以上に持っていたのだと思います。

ミスチルの「終わりなき旅」という私の大好きな曲があるのですが、その中で

胸に抱え込んだ迷いが、プラスの力に変わるように」

という歌詞がありますが、まさにそれです。

長い時間苦しんできたからこそ、その過程で感じてきた気持ちは、反転して強烈なエネルギーになります。そして来るべき時が来た時にその力は自分を奮い立たせます。

 

私はこれまでたくさんのことから逃げてきたように思います。ですが転んでもただでは起きないのが私です。逃げてきたのだとしても、自分にとって少しでもプラスになるような方向に逃げてきたのかもしれません。

私はこれまで強迫性障害の方に何人か会ったことがありますが、私を含め皆「凝り性、完璧主義」の傾向があったように感じます。タイプでいうと「広く浅く」というよりも、「狭く深く」といった印象です。

その為そのような人が力を向ける対象を見つけ、なおかつその対象が自分の特性と一致していた時、爆発的な力を発揮するように思います。

 

 

3、苦しい時は勉強しよう

私は強迫性障害等で思うような社会生活を送れず、苦しい思いをしている人にこそ勉強をお勧めしたいです。

ただ「めちゃくちゃ苦しいのに、こんな状態で勉強なんか出来るわけないだろう」と思う方がほとんどだと思います。実際私も症状が苦しい時には勉強はおろか、日常の些細なことですらこなすことが出来ませんでしたから。

 

ですが私はこれまで不安と逃げの意識から、何かしらの勉強を続けていました。これは自慢ではなく、逃げの手段として勉強を選択していたのです。

どんどん前に進んでいく周囲の人達、それに対して一向に前に進めず、どうしたら状況が良くなるのかすら全くわからない自分。

そんな状態の時は「少しでも前に進んでいる実感が欲しい」と強く感じていました。

 

ただブログでも書いてきましたが、私の神経症の対象の多くは「目」に関することでした。そしてその影響から、文章を普通に読むことが出来ない状態でした。

その為私にとってテキストを読んで勉強するということは、苦痛そのものでした。

大げさに例えると普通の人が1日に100ページ勉強出来るとしたら、私は1行くらいしか進めないイメージです。しかも不完全な1行です。

本当にもどかしく、辛かったです。

 

ですがそんな亀の歩きでも、何も出来ずに部屋に閉じこもっていた私にとって、新しい知識を取り入れることは、前に進んでいる実感を得ることに繋がりました。

そして一瞬ではありますが、症状を感じない空白の時間を作ることにも繋がりました。

この「空白の時間」は、強迫性障害の回復の為に欠かせない重要な要素だと思います。

 

私が勉強した分野は複数ありましたが、個人的には資格試験がある分野をお勧めしたいです。

ただ資格試験といっても最初は就職に繋がるものにこだわらず、自分にとって少しでも興味のある分野の方がいいと思います。

興味のある分野であれば意識がそちらに向かいやすいですし、学習に喜びを感じることが出来れば、感情を刺激する期待も出来ます。

そしてやってきたことが合格という目に見える形になれば、自信に繋がりますし、資格によっては履歴書に書ける場合もあります。

何より強迫性障害はとらわれの症状ですから、「何かをしているということ」自体がとらわれの度合いを薄めることにも繋がり、いいことずくめです。

 

もちろん症状ゆえに思うように勉強出来ないストレスを感じることも多々あります。

ですがそれでも勉強を続けて試験に合格することが出来た時、当時自尊心がボロボロになっていた自分は、「社会に認められた!」「自分にも出来たんだ」という喜びを感じ、次の行動に繋がる足場にすることが出来たのだと思っています。

 

 

4、まとめ

私は今人より大幅に遅れてスタートラインに立っているように思います。

私と同じ時にスタートした人は、背中が見えないくらい先に進んでしまいましたし、私より後にスタートした人ですら、もう背中が見えないくらい先に進んでしまいました。

でも「まだ終わりじゃない」、「諦めてたまるか、今に見てろよ」と強がりながら、ここからスタートするしかない。そんな心境です。

 

昔苦しい思いをしていた自分へ。

「とにかくなんとか生き抜いてくれ。生きてさえいればまだ逆転の可能性はある。めちゃくちゃ苦しいし、恥の意識もあるだろうけど、なんとか1日1日を生き抜いてくれ」と伝えたいです。

 

このブログを見た人にも、心からエールを送ります。

社労士試験合格に繋がったモチベーション

皆さんこんにちは。もち丸です。

今年は秋らしい秋があまり感じられず、一気に寒さが増しましたね。

乾燥、気温差、感染症、疲れ等々、自律神経が狂いまくっております。

 

さて今回は私が社労士試験を勉強していた時の、モチベーションについて書いていきたいと思います。

社労士試験だけに限らず、長い時間をかけて何かに挑戦する時というのは、この「モチベーション」をどうやって高く保っていくかということはとても重要だと思います。

私にとってのモチベーションはいくつかありますが、「逃げ場所」「後がないという覚悟」「理不尽な怒り」「家族に恩を返したい」というものがありました。

 

 

1、「逃げ場所」

この社労士試験の勉強は、ある意味で自分の精神の安定に役立ってくれました。

私が社労士試験の勉強を始めたのは、母が亡くなる1年前程前です。

当時は母が緩和ケアに入った頃で、私は本当に精神的にギリギリでした。

病気が見つかった時既に病気はかなり進行していて、治療は完治というより時間を長くするというのが目的だったように思います。

もちろん私を含め家族は最後まで奇跡を祈っていましたが、そのような状況は本当にきつかった。

また私は離職中であったことやコロナ等の影響から、気を紛らわす時間も上手く作れず、頭の中が不安や恐怖で埋め尽くされていました。

自分が立ち止まっている間にも周囲は結婚、出産、出世等着実に進んでいる。対して自分は何も出来ていない。

でも動きたくても動けない。そんな風に自分は閉塞感、焦り、不安がMAX状態でした。

 

そんな風に追い込まれていた私ですが、これまでもそのような時に取り組んでいたことがあります。それは「何か成長している実感を感じられる行動をとること」です。

ですが私にとってその行動は逃げでもあります。ただその逃げがその時その時の精神の安定に繋がり、後から見ればスキルアップに繋がっていました。

やはり辛い時にこそ、「やっていることがあるという小さな満足感」や「少しでも気を逸らせるもの」の存在が自分にとって必要でした。

そんな思いから私は社労士試験の勉強に没頭するようになりました。

 

 

2、後がないという覚悟

これは心地よいモチベーションではなく、「辛い時でもやらねば」と自分を駆り立てる諸刃の剣でした。

私は年齢も決して若いとは言えない、かと言って自分のキャリアやスキルにも自信がない。そんな劣等感の塊です。

だからこそ「ここで頑張らないともう後がないぞ。全力でやれ!」と何かに言われているような感覚がずっとありました。

確かにモチベーションには繋がりましたが、疲れている時にも追い立てられるように勉強していた為、一歩間違えていたら体調を崩していたかもしれないなぁと今更ながらに思います。

 

 

3、理不尽な怒り

これは本当に理不尽で自分勝手な怒りです(笑)。もちろん人に対して怒りをぶつけるとかそういうものではございません。人に対して感じた嫉妬や羨望を怒りのエネルギーに変えて勉強にぶつけていました。

例として

  • 久しぶりに会った友人をお茶に誘って、「これから彼女と会うので」と言われた時
  • 少し気になっていた人が結婚したと分かった時
  • 久々に参加したスポーツでこてんぱんにやられた時

等ですね。我ながら小さいなぁ(笑)

 

ですがこのような時は「ちくしょう、今に見てろよ」、「お前らが楽しく遊んでいる時に俺は勉強してやるからな!」と、猛烈に勉強がはかどるのです。集中力も倍増です。

良いか悪いかはわかりませんが、私は劣等感や嫉妬、焦り等の感情は相当なストックがありますので、ちょっとした刺激で怒りのエネルギーに変わり、私を勉強へと向かわせました。

やれやれですね。

 

 

4、家族に恩を返したい

この気持ちも私が勉強を頑張る際の、強力なエネルギーでした。

このブログでは私の強迫性障害について書いてきましたが、私が苦しかったのは当然として、家族も本当に大変だったと思います。

自分の子供がよくわからない症状に苦しんでいる、でも自分達はどうしたら子供(私)が楽になるのかがわからない...

症状は一進一退を繰り返しながら、どんどん時間が過ぎていく。子供は本当に社会復帰出来るのだろうか...そんな思いをずっと感じていたと思います。

私はそのような家族の気持ちに気付きつつも、なかなか良くならない自分と状況に絶望していました。

 

ですが家族は私のことを見捨てなかった、諦めずにいてくれました。本当に感謝しかありません。

ですが母は重い病気にかかり、状況は厳しい。私は「このままでは間に合わない。何も返せないまま終わってしまう」と焦っていました。

そして1年目の受験にも間に合わず、母は亡くなりました。

きつくてきつくてたまりませんでした。ですがここまでやったのだから、何とか受験だけはしようと思い、亡くなった日と火葬日以外は勉強しました。

 

1年目の受験は母のことを抜きにしても実力は足りておらず不合格でしたが、来年再チャレンジするという気力はすぐにはわきませんでした。

ですがここまで勉強したことを無駄にしたくないという思いと、何か気を紛らわすものが欲しいという思いから、再チャレンジを決めたのです。ここにも逃げの意識が働いていますが...

そして亡くなった母を含む家族に、「自分が頑張っている姿を見せたい。スタートは遅くなってしまったが、自分はまだ終わりじゃない、諦めていないという姿を見せたい」という思いを持って、がむしゃらに勉強をしたのです。

 

 

5、まとめ

こうして文章を書いていると、社労士試験に合格するまでにあったことを思い出します。本当に色々ありました。

記事でも書いたように、私のモチベーションは前向きなものより、切羽詰まった事情から来ているものが多いです。

ですが強い感情の分、勉強にかける思いは強く、どれだけ勉強したかわからないという程勉強しました。大学受験の時にそれくらい勉強出来る体調ならば、今とは違った人生を歩んでいたのかなぁと思うと、やるせない気持ちにもなりますが。

 

私はここまで本気で一つのことに取り組んだのは初めてです。今まではどちらかというと結果が出るのが怖くて、物事から逃げることが多かったように思います。

ですが社労士試験には本気で取り組みました。だからこそ2回の不合格は本当に悔しかったですし、今年合格出来たことは本当に嬉しかったです。

ですが私のスタートはこれからです。大事なのも大変なのもこれからのはずです。社労士試験合格を人生のピークにするわけにはいきません。

これから自分はどうしていくのか。それを作っていくのは本当に大変だと思いますが、体調に気を付けて、流れを大事にして頑張っていきたいと思います。

社労士試験合格!

皆様、ご無沙汰しております。もち丸です。

かなり久しぶりの投稿になりましたが、ようやく少し落ち着いて記事を書くことが出来ます。

 

タイトルにも書きましたが、2025年の第57回社労士試験に合格することが出来ました。

本当に信じられない気持ちです。

 

私が強迫性障害になったのは17歳頃です。その後は受験・就職共に苦労し、皆と同じようなスタートを切ることが出来ませんでした。

病気が治るまでは何度も何度も心が折れ、そのたびに「まだ終わりじゃない」、「まだまだここから」と前向きになろうとしてきましたが、常に苦しみと不安と後悔に支配されていました。

 

そして体調が落ち着きようやく再スタートが出来たと思った矢先に母が病気に。

もちろん母を責めるつもりはありませんし、今思えば母の看護中でも出来ることはたくさんあったはずです。でもそれでも時間が経ってしまった。

そしてコロナが始まり、私は身動きがとれなくなりました。

 

ただこれまであがいてきてよかったと思うことがあります。

誰でもそうだとは思いますが、あまりに不安が強すぎるとなんとかしてそこから逃げようとし始めます。私はそんな時逃げ場所を勉強や資格取得にしてきました。

ですが今回は年齢やキャリアのことを考えると、もう最後のチャンスかもしれない。

そんな強い危機感を日々感じていました。

そんな中次第に「この苦しい中でも成長している手応えが欲しい」と考えるようになり、決心したのが社労士試験受験だったんです。

 

今回無事試験に合格することが出来ましたが、大事なのはこれからです。でもやっぱりとても嬉しいです。

ずっと劣等感や不安、後悔の塊だった私が、社労士試験に合格することが出来る日が来るなんて夢にも思いませんでしたから。

どん底だった20代、30代の私が、「この先社労士試験に受かる日が来るよ」と言われたとしても、絶対に信じられないでしょう。

 

私は人生において、これ程何か一つのことに本気で取り組んだのは初めてです。

取り組みたくても取り組むことが出来る状態ではなかったというのもあります。

それでももがいてもがいて、その苦労が社労士試験合格というものに繋がっていた。私のこれまで苦しく辛かったことにも少しは意味があったのかなと思えました。

 

全てはここに繋がっていた。そう思えるのはもう少し先になるとは思いますが、ひとまずは一つのチャレンジが成功して、心から嬉しく思います。

気持ちの吐き出し、スタートラインにつけなかった悔しさ

少し遅くなりましたが、今年初の投稿になります。

その為「新年あけましておめでとうございます」には遅くなりすぎましたが、改めて今年もよろしくお願い致します。

 

ちなみに正月に関しては去年は喪中でしたが、今年は母が亡くなってから2回目のお正月です。寂しさは変わらずにありますが、ある意味母のいない日常に慣れてきた感じもあります。

あれほど毎日一緒にいることが当たり前だった母ですが、居ないことに慣れてきている部分があるというのは、少し複雑な気持ちです。

頑張ることと自分を労わることのバランスは難しいですが、なんとか今年もやっていこうと思います。

 

新年一発目は気持ちのデトックスです。本来なら気持ちが明るくなるような記事の方がよいのでしょうが、吐き出してみたい内容が急に溢れてきたのです。

今回の記事は誰かにお伝えしたい情報というものではないので、気持ちの吐き出しというテーマにあわせ、あえて口語体で書いてみようと思います。

 

 

1、強迫性障害とブランク

私は今資格の専門学校に通いながら就職活動をしているという立場だ。そして面接の際には必ずブランクについて聞かれる。

採用側からすれば確認したいというのは当然のことだと思う。私が面接官の立場でも聞くと思う。でもこれが私の自信のなさに拍車をかけ、メンタルを削っていく。

当然のことだが面接では嘘をつかないというのは大前提として、なるべく前向きな感じに過去を説明しなければならない。「あの頃の自分は未熟でしたが今は~」等のように。

 

あの時は本当に辛かったのに、責められているみたいで苦しい。私は一生懸命踏ん張ろうとしていた。でもその苦しさは病気になったことのない人にはなかなか理解されない。

もちろん面接は辛さを訴える場ではない。だから他に人にも通じやすく、かつ前向きな内容として話さなければならない。前向きな発言にする為には、過去の自分を戒めるような話になる。それは正直辛い。そしてそんなことを繰り返しているうちに自信はなくなる...

 

これが多くの人が知っているような「~病で治療をしていました」ならば、そのことが採用するうえでの懸念点にはなっても、ある程度理解は得られると思う。

でも多くの人は神経症強迫性障害といっていまいちわからない。「あ~、メンタル系かぁ」と言われたこともある。そして「なんでこんなに治るのに時間がかかったの?」と聞かれるのも辛い。

今なら論理的に「これこれがこうなったから体調を崩した。そしてこういった理由で時間がかかってしまい、長いブランクになってしまった」と答えることが出来る。

もちろん答られたとしても、それが受け入れてもらえるかどうかは別の話だが。

 

 

2、怠けていたわけではない

とはいえ長くなったブランク期間も、決して遊んでいたわけではない。むしろ状況を少しでも良くしようと必死にもがいていた。

 

ただ当時診察を受けていた医師は数多くの薬を出すだけで、回復に関して具体的な道筋を示してはくれなかった。そして自分でもわけわからん症状なので、どうやったら回復していくかが全くわからなかった。

時間経過とカウンセリングによって少しずつ良くなっている感覚はあったが、元通りの状態には程遠く、再就職も全く考えられなかった。

そんな中でも専門学校に通って資格を取得したり、アルバイトや講座受講をしながら「何かやっている感覚」、「少しでも成長している実感」を得ようと、毎日毎日もがいていたんだ。

 

今思うと他に出来ることはあったとは思うし、もっと早くに病院を変わればよかったとも思う。

でも当時の自分にはそれは出来なかった。孤独にわけわからん症状と格闘し、疲弊しながらもがくことしか出来なかった。

この頃の心境はリワークプログラムで出会った人とは話が通じる。それでも面接の場ではなかなか通じない。表現を考えた結果事実はぼやけ、話す際の勢いがなくなる。結果として自分にとって触れられたくない、後ろめたい過去のようなものになり、言い訳をしているような気分になる。

 

でも当時の自分は本当に頑張ったよ。人によってはあの地獄の期間を耐えられない人もいると思う。今思うと自分も何か一つ状況が違っていれば、もしかしたら今生きていないかもしれないと思うことがある。

それでも自分は多くの人が過ごすような「大学を卒業して、新卒でキャリアを築いて...」といった流れに乗ることが出来なかった。

スタートライン前につまづいていて、何とかスタートはしたもののすぐに倒れてしまったような感じだ。

同じ時期にスタートした人はもうそのレースはとっくにゴールしていて、もう次のレースを走っている。それどころか自分より随分後からスタートしたランナーにもとっくに追い越されてしまったような感じがある。

 

そうこうしながらもあがき続けていた結果、少しずつ心身も何とか落ち着き、アルバイト等を経て正社員として働くことが出来るようになった。

その後転職の為に退職し、今度こそキャリアを築こうと思っていた矢先に、新たな問題が発生した。母にステージ4のがんが見つかったのだ。

 

 

3、試練再び

母にがんが見つかった時は既にステージ4。転移も多くあり、その年を越せるかわからないとのことだった。

その時から全てが変わってしまった。正直就活どころではなくなってしまった。私としては出来る限り母に付き添い、奇跡を祈った。状況は厳しかったが、何とか希望を見出そうとあがいていた。

 

母は本当に頑張ってくれた。年内どころか約5年も頑張ってくれた。

辛い治療にも文句を言わず、むしろ私が母に励まされるばかりだったように思う。

私は最後まで奇跡を祈っていた。母が亡くなるなんて考えたくなかった。もしそうなったら耐えられないと思った。そう思いながら病院の送迎や診察の同席はもちろん、外部とのやり取りなど出来ることをやろうと思った。

母に対して出来ることを精一杯やってあげたいという気持ちに嘘はなかったが、今働いていないという申し訳なさや、今後のことに対する不安を薄める為、必死に何かをやろうとしていた部分も正直あるとは思う。

 

 

4、全てを狂わせたコロナ

そして事態を一段とややこしくしたのがコロナだ。

母は肺がん、おまけに父も呼吸器疾患を抱えている。その為コロナ感染は命に係わる危険性があった。その為私は自分が両親にコロナをうつしてしまうことを何よりも恐れた。

その為人との接触を限りなく少なくし、移動に関しても細心の注意を払うことにした。ストレスはとてつもなく大きかったが、母に何かあったらと考える方が怖かった。

 

そうしているうちに自分は動くことが怖くなってしまった。状況がいつ急変するかわからないことに加え、目に見えないウイルスを極度に恐れるようになってしまったのだ。

そしてその不安を「母の看護をするという大義名分」として使っていた部分があるとも思う。母さんごめん。

今思えば感染に気を付けつつバイトをすることだって、やりようがあったのだろう。でも私はそれをしなかった。母の通院に付き添うこと、感染対策を徹底することが自分の中で正しい言い訳になっていたのかもしれない。そんなこともあり再就職のタイミングを逃してしまったのだ。

 

ちなみ今私に神経症の症状はない。母が亡くなった後は少しぶり返したようにもなったがそれも落ち着いた。

ただ今も感染に気を付けながらの生活なので、友人と会えないことや趣味の自粛、行動の抑制により、心身のバランスを保つのが難しく感じている。

今は資格試験の勉強とドラクエ3に現実逃避しています。

 

 

5、最後に

気持ちを吐き出しているうちに、本筋からかなりそれてしまいました。

やっぱり自分を大切にすることと、ひと踏ん張りすることのバランスが難しい。

 

今、現時点では当時神経症に苦しんでいた自分に、「未来は明るいよ」と笑顔で言ってあげることは出来ない。それは本当に申し訳なく思う。

でも「その症状は必ず治るよ」ということは言ってあげられる。

 

とにかく母は自分のことを信じてくれた。その気持ちに応えたい。自分の為にも。

今日は気持ちを吐き出す回だったので、いつもと違う感じで書いてみました。

2025年が良い年になりますように。

「ブレスオブザワイルド」と「ティアーズオブザキングダム」のどちらが好きか

皆さんこんにちは。もち丸です。

 

最近は気温差がとても大きく体がまいっちゃいますね。なかなか疲れがとれないという方も多いのではないでしょうか。私は今の季節が結構苦手です。これからますます寒くなるんでしょうね。

 

さて今日はこのブログでも何度か触れたことのあるゲーム、ゼルダの伝説「ブレスオブザワイルド」とその続編「ティアーズオブザキングダム」、両方プレイしてどちらの方が好みだったかについて書いていきたいと思います。

ちなみに私は二つ両方とも大好きで、私にとってとても大切なゲームです。そのうえでの感想です。

 

 

 

1、どっちが好き?

最初に結論を申し上げますと、私は「ブレスオブザワイルド」の方が好きです。

ただ「ブレスオブザワイルド(以下ブレワイ)」と「ティアーズオブザキングダム(以下ティアキン)」はどちらも素晴らしい作品であり、それぞれに深い思い入れがあります。

この二つのゲームはプレイしていて楽しいということはもちろん、母の看護にあたる中で自分を支えてくれた大切なものです。

そのあたりのことは、以前別記事で少し述べました。

yoneson.hatenablog.com

yoneson.hatenablog.com

 

ちなみにブレワイは通常モードと難しいマスターモードを複数回クリアし、ティアキンは2回クリアしたという状況です。完全にやりこんだとはとても言えませんが、じっくりまったりとその世界を楽しました。

 

これから感想に入っていき、ブレワイとティアキンをプレイして感じた違い等を書いていきますね。

少しでもネタバレが嫌だという方、未プレイの方はご注意ください。

 

 

2、ティアキンの感想

私はこのゲームにも大いに救われたと思っています。その理由として母の看護があります。

私の母は長らくがん治療をしていましたが、このゲームが発売する一年前くらいに治療が終了し緩和ケアに入りました。

緩和ケアに入った時、私は疲れ打ちのめされていました。治療中は「もしかしたら今度は奇跡が起こるかもしれない!」と願い、治療に臨む母と一緒に頑張ってきましたから。

そして緩和ケアに入った時には、「とうとうこの時が来てしまった」と思いました。最終通告をされてしまった気分です。この絶望はきついですよ。終わりに向かっていくことを母も家族も実感せざるを得ないのですから。

 

そんな絶望に加えてコロナが全てを邪魔をする。そんな風に希望が全くなかった時、私はこのゼルダの新作「ティアキン」の発売を心待ちにしていました。

「あの開放感あふれる世界を旅したい」、「少しでも楽しい現実逃避がしたい」…そのようなことを、続編発売が発表されてからずっと思っていました。

 

前置きが長くなりましたが、ここからが本題の感想です。

ティアキンを初めてプレイした時、まず空の舞台から物語が始まるのですが、この時の「これから冒険が始まるという高揚感」、そして「広大な世界を旅することが出来るという期待・満足感」はとても大きなものでした。

当時行動範囲が極力狭まっていた私にとって、ゲームとはいえ「この広い世界のどこにでも行けるんだ」という興奮は、辛い中でも自分に満足感を与えてくれました。

※「ティアーズオブザキングダム」より

 

またストーリーに関しても素晴らしいものでした。前作ブレワイも素晴らしいストーリーでしたが、ティアキンも甲乙つけがたい程素晴らしかったです。

特にラスボス戦からエンディングに至るまでの過程は、これまでのゲームで一番涙したと思います。よくこれだけのゲームを作ってくれたなと、開発者である任天堂には感謝しています。

私はこのゲームのおかげで、辛い日々の中にささやかな楽しみを見つけることが出来たと思っています。

 

ちなみにこのティアキンのメインとなるフィールドは、基本的には前作と同じなので、フィールドを探索していると「前作ではこうだったな」という懐かしさを感じます。

その一方でとある事情により前作のフィールドと異なっている部分も多々ある為、懐かしさだけでなく、新しい世界を旅しているような感覚もありました。ちなみこのティアキンを紹介するうえで、ポイントとなるアイテム(システム)、「スクラビルド」を紹介します。

 

このスクラビルドはティアキンを象徴するアイテムとも言えるもので、複数のモノを接着することが出来るアイテムです。

一例を挙げると「何本かの木を切り倒して丸太を作り、それらを繋げてイカダを作る」「扇風機を繋げることで空飛ぶアイテムを作る」等ですね。

このスクラビルドによって様々な乗り物や兵器を作ることが出来、まさに組み合わせは無限大です。

また武器や盾等に関してもスクラビルドを行うことが出来、武器に関してはスクラビルドを使用することが前提となっています。その為アイデア次第で強い武器だけでなく、ユニークな効果を持つ武器や防具を作ることも可能です。これは好きな人にとってはたまらないシステムだと思います。

 

 

3、前作と比較して

さてようやく本題ですが、私がティアキンよりブレワイの方が好きという理由をこの章で述べていきますね。

 

①ブレワイの世界に満ちている寂しさと美しさ

私はブレワイにおいて優れている点に、「寂しさ」とそこから生まれる「冒険感」があると思っています。この冒険感は前作ブレワイの方が強く感じました。もちろん一作目故の衝撃という思い出補正があることは認識したうえでです。

 

ティアキンは前作の地上に加え、空、地底をも冒険することが出来ます。行動出来る範囲は前作と比べて大幅に広がりました。にも関わらず私はブレワイの方が冒険感を強く感じました。

その一つにブレワイで感じた「孤独感・寂しさ」があります。

前作ブレワイでは主人公リンクは、一人ボッチの状態から冒険をスタートしました。そして旅の最後まで基本的にはリンクは一人で旅を続けます。

もちろん最初から最後まで孤独というわけではありません。途中で村を見つけ住人と交流することもありますし、仲間の魂(のようなもの)と一緒に旅することにもなります。

それでも基本的にはこの広い世界を、リンクは一人で旅をするんです。その時に感じる寂しさが広大な世界を旅する冒険感を際立たせていると思うんですよね。

 

一人で広く厳しい自然の中を歩き回る、その過程で雨や雷、雪等により思うように動けないこともある、夜は暗く昼間には出ない敵も出てくる。それでも雨は必ず上がり、どんなに暗い夜もいずれ明け、必ず日はまた昇る…そんな世界の理が時に厳しい分、とても美しい景色を見せてくれるのです。

特に夜明けの時に崖から海を見ると、日の出の美しさに感動するくらいです。寂しさが自然の美しさを引き立たせているんです。

一方ティアキンは前作で危機を乗り越え、ひとまずは平和な世界になったところからリンクの冒険は始まります。もちろんその光景は前作でリンクが頑張ったからこその光景です。ですが私は前作の孤独感と世界の美しさの組み合わせが最高に感じる故に、ティアキンがダメというわけではなく、ブレワイの方が美しいと感じるのです。

 

またティアキンでは仲間の分身が、常にリンクの周囲にいる状態になります。(その状態は解除可なのですが)

仲間が常に共にいる。これ自体は心強いですし、人によっては仲間と一緒に戦っている感じは、むしろプラス要素かもしれません。

ですが私にとってはリンク一人での冒険感が減ったように感じ、前作の方が良かったと感じる一因になっているのだと思います。

 

後少し気になる点は「空の美しさ」です。美しい景色は今作ティアキンでも見ることが出来ますが、ティアキンでは空がフィールドに加わったことにより、その足場である空の浮遊物があちこちに見えるのです。その点が景色の美しさを少しマイナスにしてしまっていると感じます。

 

②出来ることが多すぎる

ティアキンではブレワイに比べて、リンクが出来ることが大幅に増えています。それはもちろん楽しいことでもあるのですが、私にとっては少し疲れてしまう要素でもありました。これは単純に私が年をとっただけなのかもしれませんが...

特に気になる点が「武器」についてです。

 

前作ブレワイでは武器を入手した際、そのまま使うことが出来ました。

ティアキンでもそのまま使うことは出来ますが、物語の設定上ほとんどの武器が入手時点で大幅に弱体化している為、他の素材と武器をくっつけることで実践レベルの武器になります。

この武器と素材をくっつけるというところがポイントです。この要素のよって「自分好みの武器を作ることが出来る」というプラス要素がある一方、「武器を入手して素材をくっつけてから使う」というように、使うまでに1工程多くなるのです。

そして私個人としては、その点が面白さより手間に感じてしまいました。前作での「入手した武器をすぐに使える」というテンポの良さが良かったなと思います。

 

また私は「スクラビルドで自分だけの兵器を作り、それを使って敵陣地に殴り込む」というよりも、武器のみで単身敵基地に乗り込む方が性に合っている為、複雑な兵器を作ること自体があまりありませんでした。

 

③広すぎる世界

これは書くべきか迷った点です。なぜならこの広い世界はゲームの魅力そのものでもあるからです。ただこの点に関しては私が完璧主義である点も影響しています。

 

広大な世界を自由に冒険する。これは2作に共通している大きな魅力です。ただ私は完璧主義であるが故、落ちているアイテムや素材は全部拾いたくなる質なのです。その為私は基本的には世界を歩いて旅します。

私は基本的にはチマチマとした地味な行動が苦ではなく、前作ブレワイでは徒歩での移動にほとんどストレスを感じませんでした。広大な世界でありながらも、私にとってはちょうどいい広さだったのだと思います。

 

対してティアキンでは探索出来るエリアは地上だけではありません。特に地底は素材の宝庫である一方、工夫しないと移動しにくいエリアでもあります。その為地底を探索する楽しさよりも、面倒さの方が上回ってしまったというのが正直なところです。

ただ地底の探索が楽しいという方も多くいるようで、私にもその感覚が少しはわかる気もします。

あくまで自分にとっては、前作ブレワイの方がちょうどよかったということですね。

 

 

4、やっぱりどちらも素晴らしい

このようにティアキンの気になる点を述べてきましたが、私が感じた気になる点は、ティアキンの楽しさとの裏表でもあります。その為「どちらが面白いのか」と聞かれたら、「どっちも面白いんだよ」と答えます。

ただ見やすさや操作性に関しては、ティアキンの方が洗練されているように感じますね。

 

後思ったことといえば、ブレワイの方が何度も最初からやりたくなるというのはあります。ティアキンはじっくりやろうとすれば膨大な時間がかかる為、「もう一回最初からやろう」とはあまり思えないのです。私は2回クリアしたところで落ち着きました。

それに対してブレワイは何回も最初からやりたいと思えるのです。

このように「また最初からやろう」と思える点が、私にとってのブレワイとティアキンの大きな違いなのだと思います。

ちなみに今は久しぶりにブレワイを最初からプレイしていて、早く愛しのガーディアンに会いたいと思っています。(笑)

 

私がブレワイをプレイし始めたのは、コロナが流行り始めた年のゴールデンウィークでした。そしてプレイ後に続編の開発が発表された時、「またあの世界に浸れるのか」と、発売と新情報の発表を心待ちにしたいたのを覚えています。

そして新しい紹介動画を見るたびに、ワクワクとBGMの素晴らしさが相まって涙が出ました。あんなにも何かの発売を心待ちにしたのは久しぶりです。そのワクワクは母の看護にあたる中で、自分を支えてくれました。

 

「母さんの状態がいつ急変するかわからない」、「自分のことだけでも大変なのに母さんが病気になって地獄だ」、「コロナのせいで友人に会えない、どこにも行けない」…

私は毎日強烈な不安と恐怖、閉塞感に苦しんでいたました。

ですがゼルダの世界では、ゲームとはいえ開放感を感じることが出来ました。人から見たら小さな世界かもしれない、勝手に苦しんでいるだけのように見えるかもしれない。それでも苦しい中で束の間の楽しさ、現実逃避を感じさせてくれたゼルダの伝説は、間違いなく私にとって素晴らしいゲームです。

 

 

5、最後に

この記事では「ブレワイ」と「ティアキン」の感想を書きました。

ですがご覧いただければお分かりのように、私は両方とも大好きなゲームです。製作者の凄まじさを感じます。

そして今何か辛い状況にある人、どこにも行けず閉塞感に苦しんでいる人にこそ、このゼルダをプレイしてほしいです。

 

世の中には多くの娯楽があります。旅行、スポーツ、アウトドア、音楽などなど。

そんな数多くある娯楽の中で、ゲームの素晴らしい点は家で出来ること、そして一人で自分のペースで出来ること、そしてそんなにお金がかからないことです。

その為今辛い中にいる人にとって、比較的ハードル低く始めることが出来ます。

 

私にとってティアキンとブレワイはただのゲームではなく、素晴らしい世界観を持った作品であり、苦しかった時に私を支えてくれたものの一つです。

私はこのような作品に会えたことに感謝しています。そしてこのようなゲームを作ってくれた任天堂にもとても感謝しています。

病気が治ってから初めての挑戦

皆様ご無沙汰しております。もち丸です。

 

かなり久々の更新になります。去年の夏に母が亡くなってからずっとバタバタしていました。そして今年の8月は母の一周忌法要と社会保険労務士試験が重なり、今は心身の疲労燃え尽き症候群によりぐったりしています。

 

さて今回は「全力で社労士試験に挑戦したこと」を記事にしました。

私は17歳で神経症になり、それから15年以上苦しんだ末にやっと回復しました。そして今回の社労士試験受験は、私が回復後初めて物事に全力で挑戦したことでもあり、それは私にとって大きな意味を持ちます。

私はこの「物事に全力で取り組むことが出来る状態」になるまでかなり時間がかかってしまいましたが、本気で物事にチャレンジ出来たことは一つの自信になりました。

それでは本題に入りたいと思います。

 

 

1、社労士試験を終えて

この記事をアップするのは社労士試験が終わって約1ヶ月が経った頃です。

去年の夏までは母の看護に全ての時間を使ってきましたから、母が亡くなってからは心に穴が空いてしまった気分です。今思えば母が闘病していた時間は、とても苦しかったけど幸せな時間でした。

母が亡くなってからは単純に苦しかったことに加え、生活スタイルが一気に変わったこと等もあり、ずっとバタバタしていました。更には受験に向けてひたすら勉強してきましたから、少しはゆっくりしたいなと思っています。(実際は将来の不安MAXで全く落ち着かないのですが)

 

試験を終えて思うのは「疲れた~」というものです(笑)。本当にクタクタなんですよ。これまでの人生で一番勉強したと思います。大学受験の時より間違いなく勉強しましたね。

それも自分の意思で人生をかけるつもりで挑戦したのは、神経症が治ってから初めてです。ですが今が20代、30代ならよかったなと思うと悔しいです。スタートするまでに時間がかかりすぎましたね。

 

また半年程前に腰椎ヘルニアを発症し、足にしびれがある状態なのですが、このしびれも結構不快なんですよね。

そして改めて思うのはヘルニア一つとってもこんなに不快なのに、母は本当に凄いです。ずっと体のあちこちに苦痛な症状があったのに、日々笑って文句もほとんど言わずに最後まで頑張ったのですから。本当に心から尊敬します。

 

 

2、再スタートをする時が来た

私は高校2年の時に強迫性障害(神経症)を発症しました。同じように苦しんできた人にはご理解いただけると思うのですが、この状態は全力で物事に取り組むことが難しい状況です。単純に力を発揮出来ないということに加え、様々な不安から何かに挑戦するということが難しくなります。

私もまさにその一人で、長い間前に進むことが出来ずにいました。

何かに全力で挑戦したら、結果に関わらず得るものはあると思います。でも症状が酷い時にはそれが出来ないのです。スタートラインにすら立てないのです。その悔しさ、情けなさはとてつもなく辛いです。

そんな辛い状況を何とか耐えて耐えてようやく動けるようになり、本格的に仕事に取り組もうと思っていた時に母の病気、コロナが始まってしまったのです。

そして母は5年弱の闘病の末、去年の夏に旅立ちました。

 

これまでは母中心の生活でした。そして母が亡くなるとこれまでの生活全てが変わらざるを得ませんでした。それでも私の人生は終わらない。私自身新たにスタートしていかなければなりません。

 

 

3、社労士試験に挑戦することになったきっかけ

さてそんな中で勉強を続けていた社会保険労務士試験ですが、勉強を始めたのは母が亡くなる1年程前からです。

母のことで精神的に辛い中、現在の自分の状況、将来への不安等から、何か少しでも自分が前に進んでいるという実感が欲しかったのです。情けない話ですが、逃げも理由の一つだと思います。

 

ただ今思い返してみると自分自身が長時間労働で体調を崩した経験があることや、リワークプログラムで出会った「職場で理不尽な思いをした人」、「病気や様々なものを抱えながらも精一杯生きている人」を見てきて、「人が心身健康に働ける社会作りに携わりたい」という気持ちはずっと持っていました。

加えて母の通院していた病院で社労士の方が相談業務を行っていたこと等から、「自分も何かを抱えている人、困難に直面しながらも精一杯働いている人に対して、根拠のあるサポートがしたい」と思うようになり、社労士試験受験を目指しました

 

とはいえ1年目は勉強量が全く足りなかったことや、母の病状の急変、そして母が亡くなったこと等から、受験生としてのスタートラインにすら立てていなかったと思っています。

結果は当然不合格で受験中に出来たことは、最後まで集中力を保って戦い抜くという一点でした。

 

そして再受験をどうするか迷った結果、出来ないなりにここまでやったことを無駄にしたくないとの思いから、もう一度チャレンジすること、そして予備校に通うことを決めました。

とはいえ社労士試験に向かって勉強している時間は、看護の中で少しでも気が紛れ、成長している実感を得ることが出来た貴重な時間でもありました。

 

 

4、人生をかけた挑戦

そして2024年の社労士試験受験は私にとって大きな挑戦でした。

正直かなり頑張ったと思います。元々感染対策として友人と会ったり外食する機会は少なくなっていましたが、それでも空き時間、休日はひたすら勉強に費やしました。

去年は元々学習不足の上に精神状態もボロボロでほぼ記念受験でしたが、今年は本気で受かるつもりで学習しました。

ただ残念ながら結果は一科目で基準点割れを起こし、不合格でした。正直悔しすぎて何週間かはテキストを開くことすら出来ませんでした。ですが最後まで戦い抜いたと自信を持って言えます。一年間走り切ることが出来ました。

 

私がここまで人生をかけて何かに全力で取り組んだのは初めてです。

学生時代は自分の意思で何かをやるということが少なく、神経症になってからは心身の状態は最悪でしたから。

ただこのように何かに全力で挑むことが出来たのが嬉しい反面、「もっと早くに物事に全力で臨める心身の状態になっていたら、現在はまた違った状態になっていたよなぁ」と思うと、悔しさ・怒り・無念さを強く感じてしまいます。

一番体力がありチャンスがある20代・30代。自分の未熟さも大きかったとはいえ、その時期に何かに全力で取り組むことが出来なかった。

「あなたは頑張ってきたよ」と言ってくれる方もたくさんいますが、やはり「不完全燃焼感」「強烈な悔い」が自分の中に強く残っています。これは消えることはありません。

やはり今が苦しければ過去に悔いを強く感じ、今幸せならば「あの時辛かったことがあったから今があるんだ」と思えるのだと思います。

結局は「今満たされているかどうか」に尽きるのかなと思ってしまいます。

 

 

5、燃え尽きた、疲れた

そして全力で挑戦した試験が終わった時の感想は、「めちゃくちゃ疲れた~」です(笑)。試験後2週間は本当にぐったりとしていました。

思えば試験だけでなく母が亡くなってからずっと慌ただしかったので、初めて一息ついたような気分です。燃え尽き症候群と心身の疲労がピークになったのでしょう。

 

あれから少し時間が経ち、ようやくもう一度頑張ろうと思えるようになり、次のステップに向けてのモチベーションが高まってきました。

とはいえ今年からは試験勉強優先ではなく、就職活動優先にしないとなぁと思っているので、出来る時に勉強をしたいと考えています。

は~、早く落ち着きたいです。その為にはまた正面から見ないといけない物事があるんだろうなと怯えていますが...

とりあえず現実逃避の為、今度の休みは勉強をしながらも、ゲーム(ティアーズオブザキングダム、FGO)をして過ごしたいなと思っています。

 

 

6、最後に

それにしても不思議な気分です。過去に対する不満も将来に対する不安もとてつもなく大きいですが、よくこの1年倒れずに頑張り続けたなぁと思えるからです。

そしてこの「全力で物事に取り組む」ということは、神経症になってから私が心から望んでいたことであり、ギリギリではあったもののそれが自分に出来たのです。それだけは間違いなく自分が手に入れたものです。合格したかったですけどね!

 

とにかく次のステップに進むためにも体調を整えながら、また頑張ります。

最近気温差が激しいので私は自律神経がぶっ壊れています。皆様もどうか体調にはお気を付けくださいませ。

黒い感情の消化不良

皆さんこんにちは。もち丸です。

 

随分と久々のブログ更新になりました。昨年は母が亡くなったこともあり、全く余裕がありませんでした。

母が亡くなってから半年が程経ちましたが、寂しい気持ちや虚無感は大きいです。

また10年ぶりに神経症の症状が少し出ています。もう随分前に克服したと思っていましたが、大きなストレスにより古傷が開いたといったところでしょうか。

とは言え日々やるべきことが無くなってくれるわけではないので、少しずつ心身を回していくしかありませんね。

 

今回は最近よく考える、「心の毒・黒い部分」の発散について書いていきたいと思います。

 

 



 

1、心の毒・黒い部分とは?

私が考える「毒・黒い部分」とは野生や攻撃性のことであり、生き物である以上、誰もが持っているものだと思っています。

どんなに優しい人、誠実な人でも間違いなくこの部分はあるでしょう。ただこの部分をあけっぴろげに出すと問題になることは皆わかっていますから、出す場所をわきまえていますよね。

当然この気持ちに塗りつぶされて人に危害を加えたり、自分が辛くなってしまうのは問題ですが、多くの人がこれらの気持ちを適度に消化(あるいは昇華)しながら、日々生活していると思います。

 

私個人としてはこの適切な消化方法として、真っ先にスポーツが浮かびます。

大声を出す、走り回る、盛大に悔しがったり喜ぶ、そして自分自身の手応えや仲間との一体感を感じることで、これらの気持ちを適切に消化してきたように思います。

もちろん人によって手段は様々で、中には文学や音楽、絵画等により、作品として昇華している人もいるのでしょう。

 

ただ私はこの消化が最近適切に出来ていないと感じていて、それは心身の健康によろしくないと感じています。

 

 

2、何故出来ていないのか

私はこの点に関して思い当たる原因として、

母が亡くなったこと

コロナ感染症の影響

があると思っています。

 

 

①母が亡くなったこと

母は約5年程前にがんが見つかり、約3年半程抗がん剤治療を行ってきました。

そして一昨年の秋頃に緩和ケアに入り、そこから約1年程頑張ったという感じです。

 

母にがんが見つかったのは、前職を退職してからすぐの時期で、発覚時には既に完治は難しい、年内すらもたないかもしれないという状態でした。

その後は母の治療と生活をサポートしていましたが、コロナ禍ということもあり、家族と密な時間を過ごすことに繋がりました。

良いか悪いかは別として何年も母中心の生活でしたから、母がいなくなったことで大きな穴が開いてしまい、寂しさや虚無感で、とにかく疲れたという状態なんです。

そして以前は母と会話することで整理出来ていた気持ちが消化出来ない、それなのに新しいモヤモヤはどんどん溜まっていく一方で、色々煮詰まっている気がします。

 

 

②コロナ感染症

母はコロナ重症化リスクがとてつもなく高い状態でした。

肺がん、間質性肺炎血栓症抗がん剤副作用、高齢、免疫力低下等々、感染すれば命に関わると言われていました。

また父も重度の呼吸器疾患があり、私は外出自粛を徹底していました。

 

昨年5月にコロナの分類が変更されましたが、私にとってはリスクは高いままであり、むしろ皆の意識や行動範囲が変わったことで、感染リスクは上がったと考えています。

コロナに対する考えは人それぞれだと思いますが、私にとっては感染対策を徹底しなければという状態でした。

そんなこともあり一番の趣味であるバドミントンに参加しなくなったのです。

その分小さな楽しみを大切にしたり、ランニングを始めたりしましたが、やはり以前と比較して行動範囲が狭まり、人との繋がりも薄くなってしまいました。

その為以前のように、感情の消化や発散が上手く出来ていないと感じます。

 

 

3、毒を消化出来ずに自分に起こってきた変化

これはいくつか思い当たりますが、まず第一に怒りっぽくなってきたように感じます。

皆さんも「仕事や家庭が大変でも、これがあればなんとか乗り切れる」というものがあると思いますが、私にとって正にそれがなくなってしまったのです。

そうすると心の老廃物を外に出せていないような、不快感が溜まっていきます。

すると次第に小さなことにイライラしやすくなります。「他の人は普通に遊んだり旅行したりしている。危機感が足りないんじゃないか」等、毒づくようにもなりました。

活動自粛を決めたのは自分の意思だったはずなのに、どんどんイライラするようになってしまいました。

 

また不安感一つのことが気になってしまう状態も出てきました。

元々心配性な性格ではありますし、過去とらわれの症状である神経症(強迫性障害)にずっと苦しんでもきました。随分前に克服したつもりではいましたが、心身の流れが悪くなったことや大きなストレスを受け続けた影響か、そのとらわれが強くなったように思います。

 

 

4、解消の為に取り組んでいること

ただ私もこの状況が自分の心身の健康にとって、非常に良くないことはわかっています。

とは言え焦りと不安の中でいつ母の容体が急変するかもわからない毎日。この状況が続けば自分は狂ってしまうと本当に思いました。

ですが人との接触を避け、行動範囲も狭めた状態では、なかなか気分転換は出来ません。

このような状態で少しでも事態を改善するには何をすればいいのだろうか。そんなふうに悩みながらも続けていることがいくつかあります

 

 

①資格試験の勉強

母の状況が思わしくない状態が続いている。世にはコロナが蔓延している。自分には仕事が無い…これらを抱える状況は、毎日がとてつもなく苦しいです。

かといってすぐさま現状を変えることは難しい。どうすればいいんだ。

 

そして私は再スタートする時の為に、今この制限された状況でも出来ることをやろうと考えました。そしてある国家資格試験を受験することにしたのです。

今までもいくつか資格を取得してきましたが、今回受験する資格は難関資格の一つです。幸い受験資格はあるものの、独学では厳しい。でも母の事態がいつ急変するか分からない為、毎日専門学校に行くのは厳しい...

そして悩んだ末専門学校の通信を受講することに決め、コツコツと勉強を始めました。

やはり苦しい中でも、少しでも何かをやっている手応えが欲しい、これがどのような未来に繋がるかはわからないが、何か少しでも成長している実感が欲しいと感じたからです。

 

普段から学校や会社等、行くべき場所ややるべきことがある人、自分を必要としている人がいることを実感出来ている人にとっては気にならないことかもしれませんが、私のような状況にいる人にとっては、とても大切なことだと感じています。

 

 

②運動の継続

私はコロナ前、少なくとも週に1日はバドミントンをやっていて、参加しない日もランニングや筋トレ等、運動量についてはある程度確保出来ていたように思います。

ところが自粛を始めてからは運動量・行動量が急激に落ち、更には友人と話す機会も減ったことでストレスが大きくなり、このままでは体調悪化に一直線だという危機感を持ち始めました。

そのような危機感から、youtubeの動画で意識して運動する習慣を作り、土日には散歩やランニングも始めたのです。

そして運動する習慣が定着してくると、生活リズムも少しは整ってきたように思います。やっぱり体を動かした後って、汗と共に心の毒素が抜けていく感じがしますね。

やっぱり体を動かしてこそ心も円滑に流れていくと思いますので、この習慣はこれからも続けていきたいと思います。

 

 

③小さな楽しさを大事にする

この「些細な、小さな楽しみを大切にすること」は、自分にとって本当に大切な支えとなってくれました。

 

「今日はあの雑誌の発売日だ」、「これが終わったらゼルダの新作をやろう」、「スマホゲームのイベントが来週始まる」等々、本当にささやかな楽しみです。

でもそんな小さな楽しみを大事にすることは、とても苦しい中で確かに自分を支えてくれる存在の一つでした。

これなら人と接触することもないし、何かあった時すぐに病院に駆けつけることも出来る。そして何より自分のペースで楽しむことが出来ます。

本当に大変な時って「気分転換に旅行に行こう」とかも出来ませんよね。そんな時は少しでも気が紛れて現実逃避が出来るもの、そして始めるハードルが低いことが重要です。そしてこれらは多ければ多い程、自分を助けてくれる気がします。

 

 

5、優しさや喜びだけでは処理出来ないもの

私は母が病気になってから、母を始め大切な人と過ごすことが出来るありがたさ、自分を心配してくれる人の存在等、何気ないやりとりや人の心遣いの中に、じんわりとした幸せを感じることがありました。

そして今の私の状況が「ある意味恵まれているものなのかもしれない」ということにも気付きました。

でもそれでもやはり処理出来ていない感情や、行き場を求めている気持ちが体の中にあることも強く感じるのです。

 

具体的に挙げてみると

攻撃性の消化不良

満足感の未達成

嫉妬や後悔等の処理不足

等の黒い感情の扱いです。

 

そして「自分はなんて未熟なんだ」と自己嫌悪に陥り、それがまた黒い感情を大きくするという悪循環です。

これらの感情を適切に処理することは、私にとっては恐らく大切なことで、それは「日々優しさに包まれていれば問題にならない」ものではなく、別のベクトルできちんと消化していかなければならない類のものであると考えます。

恐らく全ての人がこれらの感情を意識的にしろ無意識的にしろ、適切に処理しながら過ごしているのだと思います。

でも余裕がない時間が長くなればなるほど、これらの感情の解消は難しいです。

 

私は自分で言うのもなんですが、どちらかというと優しいほう、誠実なタイプのほうかなと思います。本当に自分で言うのもなんですが...(笑)

でもそれでもこのような気持ちや感情が、とてつもなくお腹に溜まっていて、それが消化不良を起こしているような気がします。

やはり心身の健康に大切なのは「新しいものを取り入れて、古い物を出す」という新陳代謝、循環だと思いますから、なんとかこの感情と適切に付き合っていきたいと思っています。

 

 

6、最後に

記事を書きながらも思ったことですが、やはり感情と適切に付き合うって難しいですね。

これが公私共に上手くいっている時であれば、このように深く考える必要はないのでしょうが、苦しい時・余裕が無い時にこそこれらの気持ちと向き合うことになります。

でも私の好きな曲、ミスターチルドレンの「終わりなき旅」の中に「胸に抱え込んだ迷いがプラスの力に変わるように」という歌詞がありますが、私はそれを胸にコツコツと出来ることをやりたいと思います。

ずいぶん時間がかかってしまったので取り返せるかわかりませんが、「これだけ苦しい想いをしたんだから、少し位楽しい未来があってもいいんじゃない?」と思っています。

人生平等とはさすがに思いませんが、禍福は糾える縄の如しであって欲しいと思います。

 

今いる場所でちょっとだけ行動範囲を広げるってのも、まだまだ出来るはずですよね。