強迫性障害を乗り越えた先に

強迫性障害が治る時、それは新たなスタートです。

黒い感情の消化不良

皆さんこんにちは。もち丸です。

 

随分と久々のブログ更新になりました。昨年は母が亡くなったこともあり、全く余裕がありませんでした。

母が亡くなってから半年が程経ちましたが、寂しい気持ちや虚無感は大きいです。

また10年ぶりに神経症の症状が少し出ています。もう随分前に克服したと思っていましたが、大きなストレスにより古傷が開いたといったところでしょうか。

とは言え日々やるべきことが無くなってくれるわけではないので、少しずつ心身を回していくしかありませんね。

 

今回は最近よく考える、「心の毒・黒い部分」の発散について書いていきたいと思います。

 

 



 

1、心の毒・黒い部分とは?

私が考える「毒・黒い部分」とは野生や攻撃性のことであり、生き物である以上、誰もが持っているものだと思っています。

どんなに優しい人、誠実な人でも間違いなくこの部分はあるでしょう。ただこの部分をあけっぴろげに出すと問題になることは皆わかっていますから、出す場所をわきまえていますよね。

当然この気持ちに塗りつぶされて人に危害を加えたり、自分が辛くなってしまうのは問題ですが、多くの人がこれらの気持ちを適度に消化(あるいは昇華)しながら、日々生活していると思います。

 

私個人としてはこの適切な消化方法として、真っ先にスポーツが浮かびます。

大声を出す、走り回る、盛大に悔しがったり喜ぶ、そして自分自身の手応えや仲間との一体感を感じることで、これらの気持ちを適切に消化してきたように思います。

もちろん人によって手段は様々で、中には文学や音楽、絵画等により、作品として昇華している人もいるのでしょう。

 

ただ私はこの消化が最近適切に出来ていないと感じていて、それは心身の健康によろしくないと感じています。

 

 

2、何故出来ていないのか

私はこの点に関して思い当たる原因として、

母が亡くなったこと

コロナ感染症の影響

があると思っています。

 

 

①母が亡くなったこと

母は約5年程前にがんが見つかり、約3年半程抗がん剤治療を行ってきました。

そして一昨年の秋頃に緩和ケアに入り、そこから約1年程頑張ったという感じです。

 

母にがんが見つかったのは、前職を退職してからすぐの時期で、発覚時には既に完治は難しい、年内すらもたないかもしれないという状態でした。

その後は母の治療と生活をサポートしていましたが、コロナ禍ということもあり、家族と密な時間を過ごすことに繋がりました。

良いか悪いかは別として何年も母中心の生活でしたから、母がいなくなったことで大きな穴が開いてしまい、寂しさや虚無感で、とにかく疲れたという状態なんです。

そして以前は母と会話することで整理出来ていた気持ちが消化出来ない、それなのに新しいモヤモヤはどんどん溜まっていく一方で、色々煮詰まっている気がします。

 

 

②コロナ感染症

母はコロナ重症化リスクがとてつもなく高い状態でした。

肺がん、間質性肺炎血栓症抗がん剤副作用、高齢、免疫力低下等々、感染すれば命に関わると言われていました。

また父も重度の呼吸器疾患があり、私は外出自粛を徹底していました。

 

昨年5月にコロナの分類が変更されましたが、私にとってはリスクは高いままであり、むしろ皆の意識や行動範囲が変わったことで、感染リスクは上がったと考えています。

コロナに対する考えは人それぞれだと思いますが、私にとっては感染対策を徹底しなければという状態でした。

そんなこともあり一番の趣味であるバドミントンに参加しなくなったのです。

その分小さな楽しみを大切にしたり、ランニングを始めたりしましたが、やはり以前と比較して行動範囲が狭まり、人との繋がりも薄くなってしまいました。

その為以前のように、感情の消化や発散が上手く出来ていないと感じます。

 

 

3、毒を消化出来ずに自分に起こってきた変化

これはいくつか思い当たりますが、まず第一に怒りっぽくなってきたように感じます。

皆さんも「仕事や家庭が大変でも、これがあればなんとか乗り切れる」というものがあると思いますが、私にとって正にそれがなくなってしまったのです。

そうすると心の老廃物を外に出せていないような、不快感が溜まっていきます。

すると次第に小さなことにイライラしやすくなります。「他の人は普通に遊んだり旅行したりしている。危機感が足りないんじゃないか」等、毒づくようにもなりました。

活動自粛を決めたのは自分の意思だったはずなのに、どんどんイライラするようになってしまいました。

 

また不安感一つのことが気になってしまう状態も出てきました。

元々心配性な性格ではありますし、過去とらわれの症状である神経症(強迫性障害)にずっと苦しんでもきました。随分前に克服したつもりではいましたが、心身の流れが悪くなったことや大きなストレスを受け続けた影響か、そのとらわれが強くなったように思います。

 

 

4、解消の為に取り組んでいること

ただ私もこの状況が自分の心身の健康にとって、非常に良くないことはわかっています。

とは言え焦りと不安の中でいつ母の容体が急変するかもわからない毎日。この状況が続けば自分は狂ってしまうと本当に思いました。

ですが人との接触を避け、行動範囲も狭めた状態では、なかなか気分転換は出来ません。

このような状態で少しでも事態を改善するには何をすればいいのだろうか。そんなふうに悩みながらも続けていることがいくつかあります

 

 

①資格試験の勉強

母の状況が思わしくない状態が続いている。世にはコロナが蔓延している。自分には仕事が無い…これらを抱える状況は、毎日がとてつもなく苦しいです。

かといってすぐさま現状を変えることは難しい。どうすればいいんだ。

 

そして私は再スタートする時の為に、今この制限された状況でも出来ることをやろうと考えました。そしてある国家資格試験を受験することにしたのです。

今までもいくつか資格を取得してきましたが、今回受験する資格は難関資格の一つです。幸い受験資格はあるものの、独学では厳しい。でも母の事態がいつ急変するか分からない為、毎日専門学校に行くのは厳しい...

そして悩んだ末専門学校の通信を受講することに決め、コツコツと勉強を始めました。

やはり苦しい中でも、少しでも何かをやっている手応えが欲しい、これがどのような未来に繋がるかはわからないが、何か少しでも成長している実感が欲しいと感じたからです。

 

普段から学校や会社等、行くべき場所ややるべきことがある人、自分を必要としている人がいることを実感出来ている人にとっては気にならないことかもしれませんが、私のような状況にいる人にとっては、とても大切なことだと感じています。

 

 

②運動の継続

私はコロナ前、少なくとも週に1日はバドミントンをやっていて、参加しない日もランニングや筋トレ等、運動量についてはある程度確保出来ていたように思います。

ところが自粛を始めてからは運動量・行動量が急激に落ち、更には友人と話す機会も減ったことでストレスが大きくなり、このままでは体調悪化に一直線だという危機感を持ち始めました。

そのような危機感から、youtubeの動画で意識して運動する習慣を作り、土日には散歩やランニングも始めたのです。

そして運動する習慣が定着してくると、生活リズムも少しは整ってきたように思います。やっぱり体を動かした後って、汗と共に心の毒素が抜けていく感じがしますね。

やっぱり体を動かしてこそ心も円滑に流れていくと思いますので、この習慣はこれからも続けていきたいと思います。

 

 

③小さな楽しさを大事にする

この「些細な、小さな楽しみを大切にすること」は、自分にとって本当に大切な支えとなってくれました。

 

「今日はあの雑誌の発売日だ」、「これが終わったらゼルダの新作をやろう」、「スマホゲームのイベントが来週始まる」等々、本当にささやかな楽しみです。

でもそんな小さな楽しみを大事にすることは、とても苦しい中で確かに自分を支えてくれる存在の一つでした。

これなら人と接触することもないし、何かあった時すぐに病院に駆けつけることも出来る。そして何より自分のペースで楽しむことが出来ます。

本当に大変な時って「気分転換に旅行に行こう」とかも出来ませんよね。そんな時は少しでも気が紛れて現実逃避が出来るもの、そして始めるハードルが低いことが重要です。そしてこれらは多ければ多い程、自分を助けてくれる気がします。

 

 

5、優しさや喜びだけでは処理出来ないもの

私は母が病気になってから、母を始め大切な人と過ごすことが出来るありがたさ、自分を心配してくれる人の存在等、何気ないやりとりや人の心遣いの中に、じんわりとした幸せを感じることがありました。

そして今の私の状況が「ある意味恵まれているものなのかもしれない」ということにも気付きました。

でもそれでもやはり処理出来ていない感情や、行き場を求めている気持ちが体の中にあることも強く感じるのです。

 

具体的に挙げてみると

攻撃性の消化不良

満足感の未達成

嫉妬や後悔等の処理不足

等の黒い感情の扱いです。

 

そして「自分はなんて未熟なんだ」と自己嫌悪に陥り、それがまた黒い感情を大きくするという悪循環です。

これらの感情を適切に処理することは、私にとっては恐らく大切なことで、それは「日々優しさに包まれていれば問題にならない」ものではなく、別のベクトルできちんと消化していかなければならない類のものであると考えます。

恐らく全ての人がこれらの感情を意識的にしろ無意識的にしろ、適切に処理しながら過ごしているのだと思います。

でも余裕がない時間が長くなればなるほど、これらの感情の解消は難しいです。

 

私は自分で言うのもなんですが、どちらかというと優しいほう、誠実なタイプのほうかなと思います。本当に自分で言うのもなんですが...(笑)

でもそれでもこのような気持ちや感情が、とてつもなくお腹に溜まっていて、それが消化不良を起こしているような気がします。

やはり心身の健康に大切なのは「新しいものを取り入れて、古い物を出す」という新陳代謝、循環だと思いますから、なんとかこの感情と適切に付き合っていきたいと思っています。

 

 

6、最後に

記事を書きながらも思ったことですが、やはり感情と適切に付き合うって難しいですね。

これが公私共に上手くいっている時であれば、このように深く考える必要はないのでしょうが、苦しい時・余裕が無い時にこそこれらの気持ちと向き合うことになります。

でも私の好きな曲、ミスターチルドレンの「終わりなき旅」の中に「胸に抱え込んだ迷いがプラスの力に変わるように」という歌詞がありますが、私はそれを胸にコツコツと出来ることをやりたいと思います。

ずいぶん時間がかかってしまったので取り返せるかわかりませんが、「これだけ苦しい想いをしたんだから、少し位楽しい未来があってもいいんじゃない?」と思っています。

人生平等とはさすがに思いませんが、禍福は糾える縄の如しであって欲しいと思います。

 

今いる場所でちょっとだけ行動範囲を広げるってのも、まだまだ出来るはずですよね。