強迫性障害を乗り越えた先に

強迫性障害が治る時、それは新たなスタートです。

神経症は治るのか?

皆さんこんにちは。もち丸です。

最近底冷えするような寒い日がある一方で、少しずつ日が伸び春の兆しも出てきましたね。

私は四季の変化というものが苦手でした。誕生月である10月あたりから、寒くなるにつれて自分の焦りがとても大きくなり、季節の変化を楽しんでいる余裕がなかったからです。

加えて私は寒さや気温差に弱い為、「冬なんてなくていい。夏だけでいいのに」とずっと思っていました。

けれども最近は、「夏が終わると寒い冬は必ずやってくる。でも冬が終われば必ず春の兆しも出てくる」という、当たり前のことに深いものを感じるようになってきました。

「いい加減来てくれよ、俺の春」と思います。(笑)

 

さて今回は神経症は治るのか?」ということについて、私の考察を述べていきたいと思います。

神経症強迫性障害パニック障害等の真っただ中にいる人にとって、少しでも参考になれば幸いです。

(約5分程で読める記事です)

 

 

 

1、そもそも神経症って?

これまでブログでも書いてきましたが、私は17歳から30歳位まで、10年以上神経症(強迫性障害、心気症、パニック発作)に苦しみました。

今はそれらの症状は治り、「人よりも心配性」レベルにまで落ち着いたと思っています。まぁ心配性である以上、人よりも気になることは多いのは間違いないのですが。

 

それにしても神経症は本当にやっかいなものです。

「あれ、何か目に入ったかな」、「手に薬品がついたかもしれない」→「念の為洗ってスッキリしておこう。それで安心だ」といった思考です。最初は用心の為、念の為の確認や行為だったかもしれません。

でも次第に少しの異変、少しの違和感を無くしてスッキリしておきたいと思うようになっていきます。このあたりが神経症の入り口と言えるでしょう。そして今やっている作業や行動を全てストップして、100%の安心を得る為の思考・行動を繰り返すようになっていってしまいます。

このように一度神経症回路に入ってしまうと、最早念の為という生易しいものではなく、地獄のような悪循環にはまっていってしまうのです。

 

 

2、誰にでもある神経症への入り口

神経症は本当に地獄です。特効薬はなく、人に理解してもらうことも難しいです。

「どうしてこうなってしまったのか」、「どうすればこの地獄のような状況から抜けられるのか」...

これに対する答えは今沼にハマっている人にとって、一人で見つけることは本当に難しいと思います。

ですが今神経症に酷く苦しんでいる人にも、必ず神経症の悪循環にハマっていった入口や過程があったはずなんです。

私も神経症になった時は、他のやり方をとることが出来ませんでした。でも今の自分なら、もう少しましな対応が出来るだろうとも思います。

 

そして今思えることは、今神経症の地獄に陥っている人にとって大切なことは、今やってしまう「強迫思考+強迫行為」をスパッとやめるというよりも、その濃度を薄くしていく感覚だと思います。コップ一杯に神経症の塊が入っていれば濃度は濃いですが、同じ神経症の塊でもプールに入っていれば濃度はかなり薄くなるはずです。

やっぱりずっとハマり続けてきた「強迫観念+強迫行為」のサイクルを、急に明日から止めることは難しいと思います。人によっては曝露反応妨害法が効果を発揮するかもしれませんが、これは専門家の指導が不可欠だと思います。

私の感覚では自分が深みにはまっていったルートを、元来た道を辿るように戻っていく感じです。

必ず抜けられます。

地獄のような神経症に10年以上苦しみ、根性や客観的な視野を持っていない私でも抜けられたのですから。

ただし神経症にハマっていった道を戻る過程で、嫌な記憶や満たされなかった部分をもう一度見ることになります。これは正直かなり辛いです。

 

 

3、神経症的傾向のある人の強みとは?

ただ最近「神経症的性格は害にしかならない性格なのか」と、少し思います。

 

例えば「10の内9出来ていても、出来ていない1の部分が気になってしまう」。これって場合によっては素晴らしい資質、ビジネススキルになる可能性はないのでしょうか。

神経症に苦しんでいる人は、ひょっとして数値計算やチェックが得意ではありませんか?本や資料の誤字脱字を見つけるのが得意だったりしませんか?

例えば飛行機の整備に関して言えば、「まぁこのくらいでいいか」という姿勢では話になりません。そんな人が点検した飛行機には私は乗りたくありません。

あらかじめ想定される問題点を出来る限り洗い出し、小さな違和感や気になる点も無視せず、頭に入れておく。これは大変すばらしい傾向なのではないでしょうか。

 

ただし問題はその態度がコントロール可能かどうかということだと思います。そしてその姿勢を自分の意思で適切な対象に向けられるかということです。

とは言え…「それが出来たら苦労はしない!」ですよね~。

それが出来ないから泣きながら、絶望しながらも強迫行為をするしかないのですから。

 

 

4、神経症が永遠に続くことはない

私は医師でも神様でもないので、絶対治ると無責任に言うことは出来ません。

ですが今神経症強迫性障害に苦しんでいたとしても、今感じている苦しみから解放される可能性はあります。それどころかとても大きいと言えます。

 

今は全く良くなる気配を感じられず、死にたくなっているかもしれません。ですが世の中の全ては諸行無常です。良いことはずっと続きません、でもその代わり悪いことが永遠に続くこともありません。その長さは人によって違うとしても。

ですからどうか生き抜いて欲しいです。死なないで欲しいです。

生きている1分1秒が地獄なのが神経症です。でもこの地獄の先に、喜びが待っているかもしれない。「禍福は糾える縄の如し」と言いますが、「禍」の部分のだけで終わり、「福」の部分が人生に無ければ悔しいじゃないですか。苦しんだ人間は喜びがあってもいいじゃないかと叫びたいです。

私も何か一つ状況が違っていたら、今生きていなかったかもしれないと思うことがあります。その意味で私は恵まれていたのかもしれません。

 

 

5、最後に

私は一番最初17歳の時に初めて精神科医にかかりましたが、その際医師に「大丈夫、絶対に治りますよ」と言われました。

その時医師が心からそう思っていたのか、治療として必要だから言ったただけなのかはわかりません。当時は全くそう思えませんでしたし...

だから私も他の人にそう言うことは出来ません。無責任な言葉になりかねないからです。それでも神経症が治った人は大勢いるはずです。

 

神経症で毎日が苦しい時、無理に前向きになることは出来ません。家の中では肩身が狭く、近所の目も気になっているかもしれません。

ですが音楽でも漫画でもゲームでもなんでもいいので、それらに頼りながら何とか日々を生き抜いて欲しいと願います。

一つの出会い(物・人共に)で事態が動くことは大いにありえます。ですからその日が来るまで何とか生き抜きたいものです。このまま終わりたくはないですもんね。

 

神経症に苦しんでいてこの記事を見ている方が、少しでも良い状況に向かう事をお祈りしております。