強迫性障害を乗り越えた先に

強迫性障害が治る時、それは新たなスタートです。

「はみ出す」感覚

皆さんこんにちは。もち丸です。

いやぁ、つくづく思いますがコロナ本当に邪魔ですよね~。行動するにもいちいちコロナが気にかかり、感染に敏感になっている私には、もはや気軽な外出は出来ない状態になってしまいました。

今は休日のマラソンと、ゼルダの伝説「ブレスオブザワイルド」が唯一の楽しみですね。

 

さて今日は「はみ出す感覚」というものについて述べていきたいと思います。

この「はみ出す感覚」は、私にとって行動する際の一つの指標のようなものでもあります。

 

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1、「はみ出す感覚」とは

私にとってこの感覚は、特に子供の頃の記憶が多いのですが、この感覚について話すのは少々気恥ずかしいです。

それは「初めて友達の家に泊まる」、「初めての施設に遊びに行く」、「友達だけで遠出する」等々、いつもと違う事をする時の、心細さやワクワク、ドキドキ、罪悪感等が混じった感覚のことです。

もちろんこの感覚は子供に限ったことではなく、大人でもいつもと違う行動をとるときに感じますよね。

私は最近この感覚を大事にしようと思うと共に、先に進む為にはこの感覚がヒントになるのではと感じる時があります。

 

とは言えこの感覚は、何も大きな行動をする時だけに感じるものではありません。

私は「いつもと違う道を散歩する」、「いつもなら家にいる時間に少し外に出てみた」時にも感じます。

何となく心細い、何となく気持ちいい、少し心が大きくなるような、何とも言えない感覚です。

私は最近は在宅が中心ですし、外出するのは母の病院への付き添いと日用品の買い物位です。

その為必然的に、「いつもと同じ行動範囲で、いつもと同じ行動」しかとっていません。

だからこそいつもとほんの少しでも違う行動をとると、この少しはみ出した感覚を感じ、昔を思い出したり、もっとこの感覚を大事にしたいなと思うのです。

 

 

2、学生時代のはみだし

私は学生時代、特に高校くらいまでは、母の目の届く(物理的な意味だけではない)範囲でしか行動していませんでした。

まぁ平日も休日も部活三昧だからという理由でもありましたが、元々色々な所に出掛けて行くタイプではありませんでしたし、たまに出掛けても何となく後ろめたい気がしていたのを覚えています。

一例を挙げると、例えば友達から泊りに誘われた時、それを母に伝えると大抵母の機嫌は悪くなります。(笑)

そうすると遊びに行く楽しさよりも、家で空気が悪い状態を避けたい気持ちの方が勝る為、外出を取り止め、行かないでいいような理由を作って自分を納得させていました。

 

つまりいつもの行動範囲でいる間は、不自由で不満はあるものの、家でのある意味での居心地の良さや親が守ってくれる状況がある程度保証されていたのです。

本来であれば今までの行動範囲から少し外に出たり、戻ったりを繰り返しながら、自分なりの心地よい行動範囲を作っていくのが正しい成長なのでしょうが、私はその行動範囲から出る億劫さや怖さを強く感じながら育ってきたのかもしれません。

 

大学に入ってからはさすがに自分の行動範囲で行動することが増えましたが、大学時代は強迫性障害が苦しかった時期でもありましたので、伸び伸びと行動範囲を広げることが出来なかったのが少し心残りでもあります。

 

 

3、大人になってからもはみ出せる

さて今の私ですが、ずっと家の中で行動していると行動範囲に変化が生まれず、「この時間にはこの行動」というように、時間軸においてもはみ出すことが無くなってきます。

でもこの前寝る前にふと思い立ってベランダに出て、風に当たりながらお月様を見て、家族の健康をお祈りしてみました。

すると私の「風呂に入った後寝るまでは外には出ない」といういつもの範囲から外れた、ほんの小さな解放感というか、心地よさを感じました。

 

人から見たらどうってことないことかもしれませんが、私にとってはいつもと違う行動をとったことによって、いつもと違う感情が浮かんだのです。「あ~、俺は多分もっと色々やれるな」と。

思えば新卒で働き始めて家を初めて出た時も、こんな心細さと解放感、ワクワクと怖さがないまぜになった感情を抱いたのを思い出します。

これから自分がどうなるのか怖くて仕方ありませんが、何というか自分の知らない世界が確実にあり、自分はもうそこに近いのかもしれないなと。

 

基本的に人は自信が無い時は、新たな行動から遠ざかろうとし、自信がある時は、新たな行動に向かう気がします。やはり行動するにも、例えば「知っている土地だから」とか、「体調が安定しているから」等のように、ある程度の土台を必要とします。

 

でもこのはみ出す感覚って、なにも子供の専売特許ではないはずです。

何歳になっても新たなチャレンジをすることは出来ますし、必要になる時はあります。特に大人になって行動や思考がある程度パターン化された人ほど、この「はみ出す」ということから遠ざかっているかもしれません。

別に旅行に行くとか、新しい習い事を始めるといった大きな変化でなくともいい。

たまには夜散歩してみるとか、休日昼間にビールを飲んでみる、買い物に行く時にいつもよりラフな格好をしてみる…

 

ちょっとしたことでも心は喜び、解放感を味わえる気がします。

 

 

4、調子が悪くてもはみ出せる!

私はずっと「今はその時ではない」と思い続けてきました。

旅行や高い買い物、デート等は、「就職したら」、「金銭的に落ち着いたら」というように、今はまだやれないけど、いつか落ち着いたらやろうと思ってきました。

それは今の自分にはそれらをやる価値がないということを言い続けてきたということでもあります。

 

でも思い返してみると、神経症でとても苦しい時にも、このはみ出す感じを感じたことは何度もありました。

それはリワークの人と飲みに行った時、車で図書館に行き調べものや勉強をした時、資格の勉強を始めた時等です。

その時は少し自分が成長したような、なにかちょっとした恥ずかしさと共に自分に自信が持てる気がしました。

今思うとそれは成長実感、そして自己肯定感を感じた時の、誇らしさや喜びのようなものだと思います。

 

一足飛びに何かが達成出来るわけではありませんし、何かを得られるわけでもありません。

それでもやっぱり「自分は出来る」という感覚は、病気になっても自分の中から消えてしまったわけでもないし、やっぱり自分はこの世界で何かをしていきたいという、自分の強い気持ちのあらわれでもあるようです。

 

 

5、最後に

今はコロナにより、何かと行動を制限せざるを得ない状況です。

物理的に行動を広げることは、正直今の私にとって難しいです。

でもコロナはもうすぐ落ち着くとはとても思えない、でもこのままでは本当に苦しい。

それなら今、この状態でも出来るわずかな「はみ出し」をしていくことが、次の自分の居場所に繋がっていくような気がします。