強迫性障害を乗り越えた先に

強迫性障害が治る時、それは新たなスタートです。

振り返り ~大学生時代~

こんにちは。最近一気に寒くなりましたね。

私の周りでは体調を崩している人が多いですが、私自身体調を崩し気味です。

こんなに気温差があると、服も何を着ればいいか迷います。あ~、面倒くさい!!

毎回季節の変わり目は体調を壊しやすいですが、年々気温差が激しくなり、中間期がなくなってきている気がします。

四季を楽しむ余裕が無くなってきていますね。

 

 

さて、今回は大学時代を振り返ろうと思う。

大学時代は恥ずかしいようなくすぐったい気分になる。

当時は苦しい時代だったが、今思うとそれなりに楽しいこともあったので…..

 

大学時代にまず思い浮かぶのは、初めて髪を染めたことだ。

自分にとって親から解放された気分になり、すごい気持ちのいい経験だった。

 

初めて髪を染めたのは、高校を卒業した春休みのことだ。

嬉しくて今でもハッキリと覚えているのだが、友達の家で市販の髪染めを使い茶髪にしたのだ。

親が反対するのは目に見えていたので、コッソリ友達の家でやったのだ。

家に帰るまでドキドキしっぱなしで、気分が高揚していたのを覚えている。

家に着くと母は自分と口をきかなかった。

母にはそういう部分がある。機嫌が悪いとムスッとした態度になる。子供の頃(今も)それでずいぶん嫌な想いをしたものだ。

 

 

・・・・話を戻そうと思う。

大学時代はチャラい自分を演じていた。

例えば、宿題をやっていない時に「えっ、宿題なんてやってないけど別によくね?」というように軽いキャラを演じていた。

これは強迫性障害が理由で勉強に集中出来ないのを、そうやってごまかすことで自分を保つ為だ。

 

今だからわかる自分のキーワードとして「病気のせいで出来ない。本当はもっと出来るのに!!」がある。

 

でも本来の自分はほんの小さいことでもあわてふためく心配性だ。

自分を保つ為に軽いキャラを演じていたとは言え、本来の心配性の自分との差が大きくなり、これも苦しかった。

 

ちなみに大学生活でも周囲の人間に自分の病気のを伝えたことはなかった。

理解してもえらえるとは思わなかったし、当時は話せるほど整理出来てはいなかった。

 

しかしこれらの生活が一変する出来事があった。

4年時の研究室での卒業論文制作だ。

 

自分が入った研究室は教授が厳しいことで有名だった。

最初は何とかついていこうと必死だったが、卒業研究は体調万全の人が100%力を発揮しても難しい為、当時の自分にはついていけなかった。

 

とうとうごまかしきれずに、教授と同じテーマを研究していたグループのメンバーに伝えることにした。

 

親以外の人に打ち明けるのは初めてだったし、今と違って自分の状況を整理出来ていない為、上手く伝えるのは難しかった。

それでも色々サポートしてもらうことで、無事卒論を書き終えることが出来た。

 

 

さて、大学生活では卒業研究の他に、もう一つ大きなイベントがある。就職活動だ。

ただ、正直就職活動自体はそんなに苦労しなかった。

元々この方向に行こうというのは早く決まっていたし、以前言ったように「小⇒中⇒高⇒大⇒仕事」という流れ通りに進むことは自分の中で絶対であり、そういう意味であまり苦労はしなかった。

 

就職後は会社の寮に入ることが決まっていた為、初めて家を出ることへの不安は大きかった。

また当時通院していた病院は距離的に通えず、当時は病院を変えるという選択肢も浮かばなかった為、「治療はどうなるんだろう。普通に勉強することも出来ないのに、仕事なんて出来るわけがない」と毎日絶望的な気分だった。

そうして大きい不安を抱えたまま、社会に突入することになった….

 

 

次は新卒時の社会人生活を振り返ります。

あまり思い出したくないような….でもあそこからが本当の治療の始まりだった為、避けては通れない期間です。

はやく重いだけじゃない、明るい記事も書きたいなと思っています。

それでは!!