強迫性障害を乗り越えた先に

強迫性障害が治る時、それは新たなスタートです。

「っぽく」ありたかった

こんにちは。Yonesonです。

最近梅雨入りしたせいでじめじめとスッキリとしない日が続いてますね。ですが私は例年より体が軽い気がしています。

日々体のメンテナンスをするようになり、体を部位毎に分割せず一つの「身体」として捉えるようになってきたことも一因のような気がします。

とはいえストレスも相変わらず大きいですし、このブログをアップしている今は少し風邪気味なのですが....

 

さて今日の記事は「っぽくありたかった」という一見なんのこっちゃというテーマで書いてみました。

これは病気で思うように動けなかった時期の、昔から続く私の満たされなかった部分、ずっと絡みついていた思いから来るものです。

自分で書いていて暗いなぁと思う時もありましたが、よろしければご覧ください! 

 

目次

 

1.募らせた劣等感

私は20代に体調を崩してから長いブランク期間がありました。その時期は満たされない想いをずっと抱えていて、大きな悔いが残っている時期です。今だからこそそう思うのかもしれませんし、20代という時代に幻想を持っているのかもしれません。

仕事による得られるお金、何にでも挑戦できる若さ、そして自分の意志をふんだんに発揮出来る時期だと思います。

 

もちろんこんな一般論に意味は無いかもしれません。苦しい想いをした人もいるでしょうし、挑戦だってその気になれば何歳からでも出来ます。実際様々な時期に人生の分岐点を迎えた人が私の周りにもいます。

でも悔いが残っているからこそ、輝いて見えてしまうんです。

周りは活き活きと行動し青春を謳歌しているのに、自分はそこにいない。羨ましいやら悔しいやら、情けないやら….

ブランク期間が長くなるほどこの気持ちは大きくなり、周りと自分との「差」を感じてしまいました。

 

それに伴い気後れや気まずさで会わなくなった友人もいます。

例え相手は気にしていなくても、自分が劣等感を持ってしまうと素直に楽しめなくなるんですよね。少なくとも私はそうでした。

そんでもって不貞腐れたり(笑)、すねたりしてどんどん内にこもってしまう….

特に学生時代からの友人はずっと同じ時間を過ごし、行動範囲も自分とそんなに違わなかったはずでした。

ところが社会人として友人は行動範囲が一気に広がったのに対し、行動範囲は狭いままの自分。

 

そして着実にキャリアを積んでいく友人、増える資産、結婚….

自分だけが進めてない。そんな気持ちをいつも抱えていました。

 

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 私にとってこの時期を象徴する、鮮明に覚えている記憶があります。

当時好きだった女性がいたのですが、自分は体調も不安定で働いていなかった為、告白しようとは思っていませんでした。

「働き始めて立ち位置が落ち着いたら告白しよう」と未来に希望を持たせていたのです。

そうしたら自分と仲の良かった男友達と付き合い始め、自分の目の前でデートに出かけていきました。(泣)

ちなみにその男友達は私から見ても爽やかな好青年で、とてもお似合いのカップルに見えました。そんな二人を見て「自分はいつも見てる側なんだ」と思いました。

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この失恋事件は一例ですが、ブランク期間はこういったことを数多く経験してきた為、どんどん自信を無くし、劣等感を募らせていったのです。

 

 

2.足りない自分

また当時を振り返り思い出すのは「近所の目」です。私は当時実家に住んでいた為、近所の目が凄い気になりました。

「昼間に外出なんてあの人何してるんだろう」、「何か変な病気なのか」….

ニュースでも何か事件が起きると、マスコミが近隣に取材する様子をよく見ます。

それを見るたびに「自分も近所の人から変に思われてるんだろうか」と、不安になりました。

 

誰かに何か言われたわけではないのに、ようは「こうあるべき自分になれてない自分」を強く感じ、引け目、劣等感を勝手に大きくしていったのです。

・「昼間会社で働いてない自分」

・「結婚してない自分」

・「人並みに旅行や恋愛していない自分」

・「親に心配かけている自分」

などなど.....

そして自分をいつも責めていました。

自分が思っていた「あるべき自分」はそうありたかった自分です。

自分が描く理想の自分….

 

 

3.比較の人生

つまり20、30代ならこんな感じかなという勝手な自分の理想を持ち続け、ずっと人並みぽくそれっぽくありたかったのです。

 

私がこの気持ちをどう解決していったのかと言うと、正直全然解決してないんです。

でも自分自身が今の自分に納得することでしか解決出来ないと思うんですよね。

どんなに資格取得や仕事に精を出しても、人と比較している限り一生比較で物事を量ろうとすると思います。「あの人凄い、羨ましい」、「あの人は自分より大変そうだな」…

全ての人が自分を量るものさしになってしまいます。

 

これはとてもしんどいし、人も離れていきます。

もちろん人と比べる事で自分の位置を確認するというのは、程度の差こそあれ多くの人がやってしまう事だと思います。でもそれではちょっとしたことでグラグラ揺れてしまうような、脆い自分軸しか育ちません。

 

でもこの「っぽくありたい」⇔「そうでない自分は駄目だ」って、別の記事で書いた自分への声掛けとも通じる部分があります。

 

yoneson.hatenablog.com

 

自分へのダメ出しは自分をどんどん委縮させる…

なんとかこの「ダメ出し」を軽くしていきたいものです。

 

 

4.そんな時期の中で得たもの

①想像力・共感力

でもこんな想いを味わったからこそ、以前よりも想像力・共感力が養えたとも思っています。

特に何かにぶつかったり、背負ったりして立ち止まったことのある人。そして自分を責めてしまう人。そのような人の心情が少しは理解出来るようになり、無神経な物言いはずいぶん少なくなりました。

 

また初めて参加するサークルや会社等の場で、アウェイ感を感じ落ち着かない人。

そういう人が少しでも居心地が良くなればと、場の空気が柔らかくなるよう心掛けたり、話しかけたりするというのには少々自信があります。

仕事でも委縮してる時はパフォーマンスを発揮出来ませんし、私自身も場の空気が柔らかい方が楽ですので。

 

②弱音を吐く力

もう一点、人に弱音を出すことも出来るようになりました。

人によって「弱さ」の持つ意味合いは違うと思います。今の私にとって弱さとは自分を保つ為に必要なものであり、切り捨ててはいけないものだと思っています。

 

もちろん誰にも彼にも弱さを出すわけではありません。

それでも人と話していて、この人とはもう少し踏み込んだ話をしたいと思った時に、自分から「弱さ」を開示するのが少し上手くなりました。

おかげで学生時代よりも今の方が友人は多いです。

 

でもこれは望んで出来るようになったというより、苦しい時期は心を開かざるを得なかったことと、リワークプログラムでの経験から「自分の想いを理解してくれる人はいるんだ」と実感出来たことが理由です。

そういう意味で病気がもたらしてくれたものも多いです。

(それにしても時間かかりすぎだけど)

 

 

5.「転ばないように」から「どう起き上がるか」へ

私はこれまで転ばないように必死に皆についていこうとしていました。

でも転んだ時どうやって起きるかは、全くわからなかったんです。

誰かが手を取って起こしてくれるのを、泣いて待っているだけの子供のような…

 

そして転んで泣いている中、同じ時期に歩き始めたのに背中が見えない位遠くまで行ってしまった友人や、自分の後ろから追い抜いていく人を見送るだけでした。

 

これからは転んでも自分で起き上がる力と、周りに「HELP!」と言える力を鍛えつつ、「ぽくありたい」から「自分が納得出来るかどうか」にシフトしていきたいと思います。