強迫性障害を乗り越えた先に

強迫性障害が治る時、それは新たなスタートです。

「波について」

こんにちは。yonesonです。

最近ようやく落ち着いてきましたが、実は8月中旬から体調を崩してたんですよね。

軽い頭痛が続いていまして、これが夏バテだったのかはよくわかりません。確かに7,8月は連日の暑さの中、活動量も増えていましたが。

体の疲れか、心の疲れかハッキリとはわかりません….

私の周りにも体調を崩している人は結構いるのですが、どうも私程うろたえているようには見えません。

そこで今回の記事では「体調の波」をキーワードに、私が思ったことを書きます。

 

 

1.波を意識したこと

私はこの体調の波というのを、自分のリズムとして受け止められていません。

人に話してみると「体調に波があるなんて当たり前じゃない」と笑われてしまいます。(笑)

特に女性は男よりも体調の波を当然あるものと捉えているなぁと思います。

 

私は学生の頃は、環境の変化やそれが及ぼす体調変化を意識したことはありませんでした。

夏休み等の長期休暇に入った途端に体調を崩していましたが、普段は元気で皆勤賞もとっていました。そもそも体調について考える必要性もありませんでしたし..

もちろん今と比べて体の順応性や抵抗力も高かったのだと思います。

そして高校の終わりからは長く体調を崩し、体調の波どころではありませんでしたので。

 

このブログでも書きましたが私は「体調の変化」=「体のちょっとした違和感」にとても敏感です。ちょっとした体調の悪さを大きい病気じゃないかと心配する。

でもこの前「それはちょっと違うかも」と考えるようになったきっかけがあったんです。

  

2.整体という側面から

この前知り合いの整体師さんにこのような言葉を言われました。

「いつも元気でいられれば最高だけど、それは誰にも無理な話ですよ」というものです。

そして「世の中のもの全てに波はある」というような事も言っていました。

 

私はそれを聞いて「自分の考えていることはそれと逆なんじゃないか」と思いました。

つまり調子が良いときはいいが、少しでも良くない兆しを感じると心配し、落ち込んだりしてしまう。

 

また「体調の波」の一例として、風邪についての整体の考えを聞きました。

一般的には「抵抗力が落ちる→風邪をひく」という結果論で考えますが、整体は「風邪をひく→大きく体を脱力させる→回復」と、体調を整える為にこのメカニズムがあるとのことでした。

 

この考えは非常に面白く、この考えを自分の中に取り入れることが出来たら、かなり楽になるなと新たな可能性を感じました。

 

 

3.メンタルと身体

最近は本当に天気がおかしいですよね。

暑さと寒さの差も激しいですし、今年は台風何個来るんだ。いい加減にしてくれとまいっていました。どうも台風というのは身体のバランスを一気に崩す気がします。

それに自分の身体も昔と変わってきた感じもします。(当たり前のことですが、少し寂しい)

 

さて、私は体調を崩した経験からメンタルの重要性についてばかり考えてきました。ところが整体は身体からアプローチしていく為、今回改めて体の重要性を認識するようになったんです。

もちろん焦りや不安、悩みが様々な身体症状を引き起こすのも間違いありません。

 

私は今転職中で今回を最後の転職にしたい、失敗したくないと強く思ってしまっています。

というわけで今自分の危険察知センサーが敏感になっております(はぁ…)

 

人に相談したりストレスの発散もしていますが、やっぱり精神的に緊張してるんだろうなぁ。

それとも冒頭で書いた体調の波というものが強く出てるのか….

 

恐らく複数の原因があるんだと思いますが、私は昔から白か黒で物事を判断する癖があります。その為いつも問題の原因を探し当て、「それを無くそう、無くそう」と焦ってしまう傾向にありました。

ですが今回の件で、「どんなことでも波があって、誰もが揺れながらバランスをとっているんだなぁ」と感じ、それをテーマに記事を書いてみました。

 

 

4.最後に

人は立ち止まったときに初めて、これまでの自分やこれからを考えるのだと思います。

順調に進んでいる時は深く考えずとも先に進めますから。

 

だけど人生も含め全ての物事には波がある。ずっと上がり続けることはない。

変わるきっかけは健康面などの「自分」が発端かもしれないし、会社や家族など「自分以外」のことが原因かもしれない。

 

人によって立ち止まる時期が学生の頃に来たり、20代、30代…もしくは定年後に初めて立ち止まり悩み、迷う人もいるでしょう。

その時期は人によって違う。自分が羨ましいと思う人達も、これからその時期が来るのかもしれない。

それに迷いながらも進もうとしている「私」のことを羨ましいという人が出てくるかもしれない。

 

そして上がり続ける・進み続けることがないように、下に下がって下がりっぱなしということも無いのでしょう。

 

そんなふうに苦しい渦中にいるときに、少しでも自分を俯瞰出来る力を養いたいものです。

とても難しいことですが….