前向き病にご注意!!
こんにちは。yonesonです。
ついに令和元年が終わってしまいますね。個人的に今年は常に焦りや緊張を感じていたような気がします。
色々と動きましたが、納得出来る結果に結びつけることが出来なかったなぁと。
でも苦しくて思うようにいかない時は、出来ることを淡々とやる。花が咲かない日々は地面の下で根を伸ばしてやる!
そんなふうに強がったところで、本題に入ります。(笑)
今年最後の記事ですが、テーマは「前向き病にご注意!!」です。
あまり前向きではないですね。(笑)
目次
1、前向き病って?
これ私はしょっちゅう発症してしまいます。
「前向き病」とは「ポジティブにいこう!頑張ろう!」のように、人を「前へ、前へ」と追い立てるような情報や風潮に、疲弊してしまった状態を表した私の造語です。
でもこの考えって本来は悪いものではないと思います。むしろ物事を前向きに捉えることでチャンスを引き寄せ、積極的な行動に繋がる可能性も大きいとすら思います。
ならばそれの何が問題なのか?
それはポジティブになれない自分を責めて、逆にどんどん行動から遠ざかってしまう恐れがあるからだと思っています。
2、なぜ「ポジティブ」がダメなのか?
でも書きながらも私は迷います。
「もうダメかも」、「苦しい、休みたい」よりも「まだいける」、「これは失敗じゃない!」と思う方が、ダメージも軽くエネルギーも消耗しない気がするからです。
でも私も痛感していますが、人間どうやっても頑張れない時って絶対にあるんです。頑張れるものならとっくにそうしている。
自分の状態が正常で、繁忙期のように区切りが見えている時には「前向き、ポジティブシンキング」で乗り切れるでしょう。でも状況の終わりが見えない時はどうすればいいのでしょうか?
誰か知っている人がいたら教えてください(笑)
これはその人の状況により最適解は変わってきますよね。他人が簡単にジャッジすることは危険です。
3、前向き病の種
でも世の中には人を前向き病に追い込む原因があふれています。テレビ、ネット、本、歌、人の言動….
以前のブログでも触れましたが、自分の考えも大きな要因ですね。「いつも前向きな気持ち、タフな精神じゃないとだめだ!」みたいに。
でも自分が大きなダメージを受けている時、体調を崩している時、大切な人を失った時…
こんな時前向きなんかになれるわけありません。
でもそんなときに限って「あなたがしっかりしないとね」、「戦いには負けちゃだめだよ」、「もっと強くならなきゃね」等の言葉をかけられることも多いです。
私は自分自身をずっとそのような言葉で責めていましたし、人からもそんな言葉をよくかけられました。
苦しい時は刺激を感じるセンサーが敏感になっていますから、普段ならスルー出来る言葉ももろに刺さります。
そして「前向きになろうとする⇒でも出来ない」。そうやってどんどん元気をなくしていきます。
4、常に前向きでいられればいいけども…
一般的には元気に活動出来ることが「いいこと」…..でもなく「当たり前」、「普通」のことと認識されているような気がします。確かに私自身もそう思ってしまいます。
ここで少し話が変わるのですが、今私は東洋医学に興味を持っていて、関連する本をよく読みます。
東洋医学で面白く感じたことの一つに、「陰陽論」というものがあります。全ての物事には「陰」と「陽」、二つの側面があるというものです。
つまり物事には「陰」の部分は元々含まれているものであり、大事なのはバランスだということです。「陽」だけにはなりえないし、「陰」だけになることもない。
私が人生を語るのはおこがましいですが、生きていればバランスが崩れることってありますよね。私も長い時期崩していましたし、今もある意味崩れている状態なのかもしれません。
でも常に元気な、すなわち「陽」だけの状態で生活することは、そもそも無理なことかもしれませんね。
これに関連して私の印象に残っている言葉があります。
「人は倒れたままではいられないんです」
ドラマ「救命病棟24時」でのセリフなのですが、私はこの言葉に何回も勇気づけられました。
5、対処するには
でも実際に社会にあふれている情報から身を守るにはどうすればいいのか。
それは私が教えて欲しいです。(笑)
でもそれではこの文章を書く意味がないので、少し考えてみました。
①インプットする情報量を減らす
今は普通に生活しているだけでも、大量の情報に触れることになります。
特に都会で生活しているとギスギスして、余裕がなくなっていきます。でもそれは自分の身を守る為の自衛行為なのかもしれません。
全ての情報・事態にきっちりと対応していたら、人は壊れるのではないでしょうか。
それを防ぐ為に態度が悪くなったり、コミュニケーションが雑になったりする。
あえて感度を下げて鈍感になるといったところでしょうか。
であればインプットしなくても差し支えない情報を入れないというのは、とても大事なことだと思います。
真っ先に浮かぶのはネットやSNS等を見る時間を減らすことですね。
これには情報だけでなくブルーライト等の物理的な刺激も減らす効果もありそうです。
大体元気がない時って人の投稿を見てもいいことないですからね。そもそも綺麗なシーンを切り取って投稿しているわけですから、キラキラしてるに決まってます。(笑)
②刺激に反応する感度を意識的に下げる練習
これ私は自分で書いておきながら苦手で、外からの刺激にいつもピリピリしてしまいます。
でも、もし刺激に対する反応を完全オートではなく、マニュアルのギア操作のように場面に応じてコントロール出来るようになれば、かなり楽になるのではと思います。
敏感すぎるセンサーの調整ですね。
例えば「買い物時にありがとうと言う回数を意識して減らしてみる」等のように、いつも自然にやってしまう行動を、意識的にいじってみるのです。
このような外からの刺激に対する自動的な反応、そしてその反応が作り出す不快感。これを何とかしない限り、どの会社に入ろうが、誰と結婚しようが苦しさはずっと続くのではないかと最近思うようになりました。
③情報を遮断した時間を作る
既に疲れている頭の休息も大事ですよね。
私たちは強い刺激を受け続けているのが、当たり前になっている気がします。
普段忙しくしていると急にやることが無くなった時、落ち着かない気分になりませんか?同じく暇さえあればスマホをいじっている人も、スマホがないと落ち着かない気分になると思います。常に浴びてる刺激がなくなることで心地悪さを感じるのです。
さて、ここで少し話を変えますが、私は最近耳鳴りが大きくなって少し凹んでいます。
耳鳴りから逃げようと自分の心が慌ただしくなっている気がするのです。
何とか消してしまいたいと思い、耳鳴りが気にならなくなるよう必死に行動してしまう。
私が以前苦しんだ強迫性障害もそうですが、こういうのって無くそうとすると絶対無くなってくれないんですよね。むしろ自分の中で耳鳴りが占める割合が大きくなり、耳鳴りが強化されてしまう。
ネットをつい見てしまうことや、ワーカホリックもこれと似てないでしょうか。
「常に浴びている刺激が無くなる時に出てくる何か」。
それから逃げる為に他の刺激を使って心をいっぱいにしたいのです。
刺激を浴びているのが普通になっているのであれば、刺激がない状態をつくってやるというのは、理にかなっていますし、試す価値はあると思います。
「座禅」や「呼吸法」等であれば自宅でも出来そうですね。
6、お坊さんだって揺れ動く
あと少し気になっていることがあります。
それは「揺れない人って本当にいるのか?」ということです。
例えば本でも「私はこう考えるようになったら不安から解放されました」とか、「常に自分の選択に自信が持てるようになりました」等の文章を見ることがあります。
でもこれって本当ですかね?
この前お坊さんが書いた本を読んだのですが、お坊さんですら外の情報に反応して落ち込んだり、腹がたったりと感情の揺れを0にすることは出来ないそうです。
どうやら私達は一生揺れながら生きていくしかなさそうですね。
7、最後に
しんどい時にポジティブな情報を苦しく感じるのは当然だと思います。
その為ポジティブな励ましが苦しい時は少し離れて、ポジティブさが今の自分にとって有効と思える時には、ありがたく自分の力にすればいいのだと思います。
さて本当に最後になります。
今年は自分にとってなかなか結果に結びつかず、苦しいことも多かった1年のように思います。
しかしあえてこの言葉で今年最後の記事を締めくくりたいと思います。
「今年は本当にいい1年でした。来年はもっといい年になりますように!」
それでは皆様、良いお年を!!