強迫性障害を乗り越えた先に

強迫性障害が治る時、それは新たなスタートです。

心身健康に暮らせる社会作りとは?

皆さん、こんにちは。もち丸です。

少しずつ寒さが落ち着いてきましたね。その代わり花粉が飛び交う季節になったので、目や鼻が苦しいですが...

桜の季節が近づいてきましたので、今年は少しでも家族と花見に行ければなぁと思うこの頃です。

 

さて、今回は私が病気や回復を通じて得た気付きや考えを書いていきたいと思います。

私は病気になって良かったとはとても思えません。「病気にさえならなければ」という想いは、未だに私の心の中に色濃く残っています。

それでも病気にならなければ思い至らなかったことや、思考がたくさんあることも事実です。

悔しさや不甲斐なさ、無力感もたくさんありますが、ある意味思考の熟成も進んだ時期になりましたね。

少し長文になりますが、そのあたりを述べていきます。

 

f:id:yoneson:20200911114204p:plain

 

 

1、初めに

私は病気を通して、「どうすれば心身健康になれるか」について大いに考えました。

そして、

質の良いもの、気に入ったものを生活に取り入れることは、心身の健康に繋がる

自然のリズムを大切にすることで、メンタルヘルス不調は確実に軽減する

自分自身が心身の健康に大切なものの提供に携わりたい

という三つのことを大切に考えるようになりました。

 

今回は心身の健康や心身健康に暮らせる社会作りに関して、私が良いと思うもの。逆に良くないと思うものをまず簡潔に挙げ、その後詳細を述べていくことにします。

 

 

2、心身健康に暮らせる社会作りに大切なもの

  • 質の高いものを日常に取り入れること
  • 丁寧な仕事をする人にお金が回ること
  • 日々立ち止まったり揺れながら、良い方向に向かおうとする人
  • 自分が「良い」と思う方向で、人や社会に役立っていると思えること
  • 自然のリズムを大切にすること

 

 

3、心身健康に暮らせる社会作りに悪影響を及ぼすもの

  • 気持ちの入らない大量生産
  • 無理な事業展開(フードビジネスやコンビニ等の多数のチェーン展開)
  • 自然のリズムに沿わないもの・生活スタイル(夜勤、24時間営業)
  • 物があふれている事
  • 情報に振り回されること

 

 

4、自分が実現したい世界観

  • 高くても良質なものを日常に置く生活
  • 年齢や障害に関わらず生き方の見直しをしやすい社会
  • 自然のリズムを大切に考えて日々を過ごす人を増やすこと
  • 心身の健康に大切なモノ・サービスの提供

 

 

5、考察① 「人間も自然の一部である」

さてこれから上記で挙げたことについて、詳細に述べていきます。

まず第一に私は心身の健康について、人間も自然の一部という視点が大事だと思っています。

やはり動物である以上、自然のリズムに沿わない生活をしていると体調を崩しやすいと思います。

その為昼は動き、夜は休む。そのような自然のリズムを軸にして生活することは、病気になりにくい土台に繋がります。

もちろん現代社会では完全な自然のリズム通りに生きることは難しいですが、その部分を見直さずに高い薬や健康法に頼るのは順番が逆だと思います。

 

そして私は「一物全体」身土不二という、自然のリズムを考慮した考えに共感します。

簡単に説明すると、

 

f:id:yoneson:20210309120948p:plain
 
体と環境(土地)は繋がっていて、別々のものではない

 

f:id:yoneson:20210309121010p:plain
 
全体は部分の総和ではなく、全体とした時に総和を上回る働きを持つ

といったところでしょうか。

 

身土不二は大げさなことではなく、やはり土地と文化、そこで生活する人は深く関係しているということです。文明や文化も、その土地とその地域住人独自に発展してきましたからね。

元々生き物は、その土地で採れるものしか食べる事が出来ませんでした。

ですが今は世界中の食べ物を一年中食べることが出来ます。それはとても素晴らしいことでもあります。

ですがやはりその土地、その時期に出来るものを食べることが、生物にとって一番自然なことですよね。

昔から言われている「旬のものを食べると元気になる」というのは、理にかなっているのかもしれません。

 

そしてもう一つ「一物全体」

食べ物に関して言えば、小魚や野菜は丸ごと食べると部位を別々に食べるより、より栄養を摂取出来るという考え方もあります。サプリで栄養を補うことも良いですが、まずは自分の食生活の見直しが先決です。

 

このように自然との付き合い方は、心身の健康に大きく影響しているのは間違いないと思います。

 

 

6、考察② 「モノや情報を持ちすぎない」

私は身の回りに何を置くかということは、心身の健康に関係していると思います。

何を身に付けるか、何を取り入れるかということです。

 

ただ、モノをたくさん持つことが出来るというのは、モノがない時代から考えると、幸せの究極系の一つとも言えます。

ですが私は身の周りにモノが多いと落ち着きません。それより少量でもいいので高くても質の良いもの、自分が本当に気に入ったものを使うことは日常の喜びに繋がります

大げさかもしれませんが自分を認め、自分の考えや感覚に自信を持てるようになる気すらします。

 

そしてもう一つ。情報についてもインプットのし過ぎには注意が必要です。

それは光等の物理的な刺激に加え、世の中には人間が処理出来る以上の情報が溢れていて、多くの人はその情報に溺れている状態だと思うからです。

 

少なくとも私は無数の情報を、適切に処理・消化することは出来ませんでした。知る必要のない情報を見聞きし、ざわざわして苦しくなりました。

ほんの少し何かを知った気にはなるのですが、自分の課題である「自分の頭で考える」ことからも遠ざかる気もします。

 

そこで意識して情報量を減らすことを試みました。そして手始めにスマホを使う時間を減らそうと試みたのです。

ところがいざやろうとしてみると、結構難しいんです。

無意識にスマホを触ろうとしてしまう...。これは一種の依存症ですね。

でもスマホから離れて本を読んでいると、眠くなってきて、お腹の緊張やハリが取れていく実感がありました。

そして「スマホを長時間使うことは、想像以上に心身に負担をかけているのではないか」と思うようになりました。

 

今はストレートネックやVDT障害等、電子機器を使いすぎる弊害は、広く知られています。

今体調が悪い&スマホやパソコンを長時間使っている方は、一度真剣に電子機器との付き合い方について考えてみることをお勧めします。

 

 

7、考察③ 「派遣という業務体系を通じて感じたこと」

この章では始めにお断りしておきたいことがあります。それは派遣というものを否定するつもりは全くないということです。

何故なら昔私が派遣社員として働いていた時、派遣という形態に納得している方もいたからです。

専業主婦の方や、本業の隙間時間に派遣として働いていた方もいました。

その為、今回の感想はあくまで「私がそう思った」というお話になります。 

 

さて本題ですが私は昔あるメーカーで、派遣社員として製品製造に従事していたことがあります。

私にとっては社会復帰の第一歩という側面を持っていた為、そこで自信をつけていった一方、多くのことを考える機会ともなりました。

 

7-1 時給分だけの仕事はきつい

まず始めに考えたことは、企業側から見て派遣社員は、製品原価を下げる為に有益な存在であるということです。

企業にとって人件費を抑えることはとても大切です。人件費は製品原価に直結しますから、派遣やアルバイトを多く使う事で、製品原価を下げることが出来ます。

価格は消費者側にとって商品の選択理由の一つになりますから、競合他社に勝つためにも製品原価を抑えることは重要課題の一つです。(もちろん商品価値は価格だけでないことは承知しています)

 

そして私にとって派遣の仕事は社会復帰のきっかけにはなりましたが、それ以上に不安定さから来る、辛さや惨めさ等も大いに感じることとなりました。

これは会社にもよるので一概には言えませんが、基本的に派遣社員には単調な仕事が割り振られます。(ある意味当たり前ですけどね)

その為モチベーションは上がらず、「早く仕事が終わらないかなあ」という思いが常にありました。

出社しても自分の机は無く、毎回違う作業場所に振り分けられる為、自分の仕事という感覚が持てませんでした。

 

ただ途中からモチベーション維持の為、楽しくなる工夫や色々なことを吸収しようと心掛けました。そのことが派遣チームリーダーを任されることに繋がった為、「やろうと思えば今いる場所でも何かしらを得ることは出来るのだな」ということにも気付きました。

 

7-2 派遣と社会制度の関係

ただ製品単価が下がることは、消費者側から見るとありがたいことですよね。

ただ人件費を抑えることによる単価の低減は、従業員の中で正社員の割合が少なくなることも意味します。そしてそのことは労働者の生活基盤にも影響する為、当時の私の同僚には給料や社会保険等の不安定さから、結婚を躊躇する人もいました。

 

つまり非正規労働者の増加は「税収や働き手の減少」の一因となる為、社会作りという点からはマイナス面が大きいのではないかと考えるようになりました。

そうすると市場に価格勝負の製品が多くなることは、社会的に見て良い循環を作っているとは言えないと思うようになりました。

 

7-3 他者への敬意を大切にしたい

また私は仕事をするうちに、他者への敬意を大切にしたいと強く考えるようになりました。

 

私の同僚の中には、デリカシーの無い人や態度が悪い人がいて、話していると気分が悪くなることもたくさんありました。

特に新人さんに対して偉そうな人には腹が立ちました。同じ職場で何回か仕事を経験した人が、初めて来た人より仕事が出来るのは当たり前です。

にもかかわらず初心を忘れ、偉そうな態度をとる人には凄い不快感を感じ、心からこうなりたくないと思いました。

そして派遣チームリーダーとして作業進捗管理を行なう中で、「人は委縮した状態では決していいパフォーマンスを発揮出来ない」ことに気付きます

 

そのような出来事から私は、「人が気持ちよく働けるような環境作り」を大切に考えるようになっていきました。

 

 

8、考察④ 「働き方と製品の関係」

私はモノには作り手の想いが宿ると思っています。

そして私は単価が安く大量生産で作られた製品には、想いは宿りにくいと思います。

やはり作り手のモチベーションや気持ちは仕事に影響し、製品の質に影響が出ると思うからです。

どの会社においてもそうかもしれませんが、明らかにモチベーションが低い人はただ言われた作業だけをつまらなそうにやる印象を持ちます。

そしてモチベーションが低い人間がモノ作りに関わることは、想いを込めた製品作りにはならないと思うのです。

やはり一人一人が丁寧に製造に関わったものと、モチベーションの低い人間が多く関わった製品は、質が違って当然だと思います。

 

そして料理に味以外の温もりのようなものを感じるように、人は製品に込められた想いを感じとることが出来ると思うのです。

何となくですが、質が良いものって自分が大切にされている感じがするんです。

そして私は質の良いモノの提供に携わっている人にお金が流れて欲しいと思います。

 

「何を買うかというのは誰にお金を回すか」ということでもあります。もちろん全てのモノに対してそのような買い方をすることは出来ませんが、私はそういった生活をしたいですし、そういう生活を望む人を応援したいとも思います。

 

 

9、考察⑤ 「深く人と関わりたい」

私はリワークプログラムで、様々な年齢・職業の方と出会いました。

そしてそこで共に過ごした人は、様々な選択・決断をしていきました。

体調を崩し、大事なことに気付いて生き方を見直す人、そのまま以前の会社に戻る人、地元に戻っていった人...

 

逆に選択肢を持てずに、自分を追い込んでいく人もたくさん見てきました。

そのような状況を見て切に思ったことは、一度立ち止まったりした人が、社会に戻っていきやすいようになって欲しいということです。

 

休職しても会社側が何も変わらない場合、また同じことが繰り返される可能性があります。休職中に復職するか転職するか悩む方も多かったですが、明らかに本人が戻ることを望んでいない場合、復職以外に選択肢がなければ、その人は追い詰められ、回復も遠のくことになります。

 

また私は会社側の無理な事業計画のせいで、休みを取れず体調を崩した人と出会ったことから、全国に多数展開するチェーン店の在り方にも疑問を持ちました。

このような事業体系って、現場の人間に常に無理がかかりますもんね。

最近このような現状に対して見直す動きが出てきているので、その流れは非常に素晴らしいと感じます。

 

 

ただ多くの人との出会いは、私に素晴らしい気付きも与えてくれました。

色々な仕事・生き方をしている人がいて、「結婚したから」、「子供がいるから」、「もう年だから」等、一般的に制限がかかると思われる状況でも、出来ることはたくさんあることを、身をもって教えてくれたのです。

そして自分のやっている事や人生に疑問を持ったり、立ち止まったり、揺れている人。そういう人と繋がりたいと思うようになりました。

 

そして何かをきっかけとして、人が生き方を見つめ直すことが出来る社会作りというものが大切だということに気付きました。選択肢を持つことが出来れば、人は追い込まれる可能性が少なくなります。

だから変わろうとする人は応援したいし、そのようなチャンスが多い世の中になって欲しいと願います。

そのような世の中になっていけば、うつ病等の体調を崩す人も確実に少なくなると思います。

 

 

10、最後に

少し長い文章になってしまいましたが、いかがでしたか。

ただ私自身想いを持つだけでなく、行動しなければならないと痛感しています。

自分が制限される状況にあったとしても、今いる場所でほんの少し環境や行動を変えることは出来るはずです。

そうやって「夢」ではなく、「目標」に少しずつ近付いていきたいものです。