強迫性障害を乗り越えた先に

強迫性障害が治る時、それは新たなスタートです。

怒りについて

皆さんこんにちは。yonesonです。

最近は三寒四温の言葉通り、気温差が大きい日が続きますね。

私も昔より気温の変化に弱くなった気がします。これが年をとったというこのなのでしょうか(ちょっと切ない...)

この時期は暖かくなってくるので本来嬉しいはずなんですが、花粉やら気温差、新年度等でバタバタするので、中々落ち着かない時期でもありますね。

 

さて今回は「怒り」をテーマに記事を書きたいと思います。

この「怒り」、私にとって大事なキーワードです。

 

 

1.怒りは心身を蝕む

怒りは大きく分けて「人への怒り」「自分への怒り」の二つがあると思います。

私は人への怒りをうまく消化出来ずにいると、自分への怒りに変わってしまうものだと思います。逆もまた然りかもしれませんが。

 

この怒りという感情、適切に処理するのって難しいですよね。私は今でも下手です。

いつも人にぶつける人は迷惑で関わりたくありませんが、表現しないまま体に溜まっていくと、精神的・肉体的不調の一因になると思います。

 

私は以前整体師に診てもらった時、「だいぶ怒りが溜まってますね」と言われた事があります。

当時は言われた瞬間「はあ?」と思ったのですが、今考えてみると当時私は相当怒ってました。(笑)

 

当時の怒りの多くは会社の人間に対してのものでした。基本的に人の悪口を言う時にしか笑わない人達です。

本心ではそのような話には関わりたくなかったのですが、自分の保身を考えてしまい、積極的には関わらずとも誰に対してもどっちつかずの態度をとってしまいました。

半分は私自身のせいですがとても疲れました。

 

そんな同僚に対して嫌悪感を持ちつつも、自分としても適切な対応がとれないことで、人と自分両方に対して怒りを募らせていたのだと思います。

 

それにしても体は心より正直だなと思います。

心に怒りが浮かんだ瞬間に理性で調整しようとしますが、血圧や心拍数の上昇等、体は正直に反応しています。

怒りが体に影響している部分は大きそうです。

 

 

2.私にとっての怒りの表現

思えば私は昔から適切な怒りの表現が苦手でした。

泣いたり不貞腐れたりして間接的に怒りを表現することが多かったのです。あまりいい表現方法ではないですね。

もちろんそんな理不尽な表現では誰もフォローしてくれず、人は自分から離れていきます。

 

これまでブログで触れたこともありますが、私は人に正面から自分の考えを伝えることがとても苦手でした。

その為相手に自分の思っている事を伝えず、ただ不機嫌な感情をぶつけるという子供っぽいやり方を使ってきたのです。

友人や家族に対しても「あなたは~なのね。でも私はこう思う」という経験を積んでこなかったとも言えると思います。

これは親に反論して怒られるのが怖かったからという事もありますし、出来事を振り返り内省する時間を持ってこなかったというのも一因です。

 

 

3.怒りを処理できないと起きる問題

ですが大人になるにつれ、自分の意見を伝えて相手との間に折り合いをつけるということが必要になってきます。

「悲しいなら何故悲しいのか」、「怒っているなら何故怒っているのか」ということを伝えるということです。

この訓練を怠っていると人に異を唱えたり、人の言動を咀嚼したうえで自分がどうするかを決めるということが上手く出来ません。

そうすると自分の感情を適切に処理することが出来ずに、怒りが自分の中に溜まっていきます。

そして本来外に出てしかるべき感情を飲み込み続けていると、体や心のあちこちに不具合が出てきます。

 

もちろん社会人として怒りを出すのがふさわしくない時は、多分にあります。

けれども怒りを飲み込みすぎていると、自分の中に浮かんできた感情を否定する癖がついてきます。

感情を否定するという事は自分を否定する事に繋がります。

人は実に多くの感情を持っており、その中には世間的にはよろしくないと言われる感情、取りつかれると暴走しトラブルに繋がる感情もあります。でもそれもれっきとした自分のものです。

 

怒りを飲み込む人は色々なパターンがあります。

自分より弱い立場の人間にあたったり、自分を責めたり......

 

弱い立場の人にあたる人は結構多いと思います。害以外の何物でもない。

私は自分のことは容赦なく責めてしまいます。このあたりは過去記事の「発される言葉について」でも触れました。

 

yoneson.hatenablog.com

 

人に怒らないのは一見いいことに見えますが、形を変えて自分に矛先が向いてしまう。これはとても辛いことです。

うまく感情表現出来ない自分に嫌気がさし、そんな自分が情けなくなってくるのです。

 

 

後は自分のことより人のケースの方が冷静に判断出来る場合も多いです。

私はリワークプログラムでこんな話を聞きました。

ある人が会社や家で酷い対応をされていて、聞いているこっちは加害者に腹が立つのに、それを話している人は疲弊して落ち込み、自分を責め続けているのです。

でも例え人に責められる理由があったとしても、それを責めて当然というのは違います。

それでも強く言われるのが苦手だったり、反論するのに慣れていないと、相手の言動をそのまま受け取り、そうとしか思えなくなってしまうのです。私もその気持ちがよくわかります。

そしてそういう人の話を聞いていると怒り・悲しみが強く感じられ、それを適切に処理出来ずにため込んでいる。それが体調不良に繋がっているんじゃないかなと思いました。

 

 

4.書くことで感情をアウトプット

怒りと上手く付き合うことが出来れば生きやすさや、体調回復にも繋がっていくと思います。

怒りとの付き合い方に私は自信がないのですが、昔からずっとやっていることがあります。それは気持ちや考えをとにかく紙に書くことです。

気持ちを吐き出すことを第一の目的に、汚くてもいいからとにかく書きなぐるのです。

どんな汚い言葉でも躊躇せずに書きます。

これなら一人で完結するのでハードルも低く、簡単に取り組むことが出来ます。

 

このメモを人に見られたら相当やばい奴だと思われるかもしれません。(笑)

でも私はこの書き出す作業によりだいぶ楽になりました。

これまでの私のメモを振り返ると、「自分は怒り、嫉妬、後悔をこんなに飲み込んできたのか。しかもまだまだありそうだなあ。」と思います。

 

怒りとの付き合い方に関する情報はありふれていますが、私にとってどんな方法がいいのかはまだわかりません。

それでもこの「怒り」は健康に生きていく為に避けられない、けれども大切なテーマであるように思います。

 

 

5.怒りを持たない人は誰一人としていない

一方であまり怒らない人もいます。

例えば「感情的にならずに自分の考えを伝える術を持っている人」、「嫌われたり対立するのを恐れて意見を言わない人」等です。

私はまだまだ後者です。

 

あるケースを出しますとリワークプログラムにいつも穏やかで、聞き役に徹するような方がいました。

ある時あるテーマのもと、1人ずつ発表する場がありました。その時「母親」というキーワードに触れたとたんものすごい勢いで話し始め、他の人が話す時間が無くなるほどの勢いでした。よほど怒りがたまっていたのでしょう。本人も終わった後で冷静になり驚いていました。

その方にとっては母親に関する想いを吐き出すことなく、薬の処方だけでは不十分なのは当たり前ですよね。

 

私が大きな影響を受けたアドラー心理学では、「怒りを使わない方法を身に付けよう」というような表現がありますが、やはり「怒り」というのも大事な感情で、忌むべきものでも抱いてはいけない感情でもないと思います。

(お前あんだけアドラーアドラーって言っといて手のひら返しか?というご指摘を受けそうですが....)

 

怒りが悪いのではないのだと思います。ただ表現方法が適切でないことが問題を起こすのだと思います。

 

 

6.最後に

以前ある俳優さんがおっしゃていたことですが、その方は自分の毒・怒りの部分を「役を演じる」事で表現しているそうです。怒りを相手にぶつけるのでなく自分の技術として昇華させ、一段上のものとして磨き上げている。

これとても素晴らしいですよね。だからこそ真に迫るし、見た人が何か感じるのだと思います。

思えば芸術や音楽にもそのような一面があるかもしれません。

 

大切なことは自分が抱いた感情を認め、受け入れること。

そしてそんな自分を許すことだと思います。そんなとげもありクセのある自分を大切にすること。

 

私はこれまで飲み込んだ怒りをスポーツなどの別のもので発散するという、間接的な方法で消化してきました。

これからはそれに加え、根本的な怒りそのものとの上手な付き合い方、消化法を身に付けて少しでも楽に生きていければいいなと思います。

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※

最近私は記事の文章が長いかなぁと思い始めました。文章が長いと読みにくいうえに、本当に書きたいことがぶれてしまう恐れもありますね。

今後はその辺も考慮して、のんびりと文章を書いていきたいと思います。

それでは!