強迫性障害を乗り越えた先に

強迫性障害が治る時、それは新たなスタートです。

記憶は消えない

こんにちは。yonesonです。

夏が終わってしまいましたね~。あんまり夏らしいことしなかったなあと、少し寂しい気がしています。

 

今日は「記憶は消えない」と言うテーマについて書こうと思います。

私の中では大きな変化に繋がりそうな気配を感じ、楽しんで書くことが出来ました。

 

目次

 

1、きっかけとなった本

今回このテーマについて書きたいと思ったのは、1冊の本とその本に書かれていたワークに取り組んだことがきっかけです。

「ずっとやりたかったことをやりなさい (ジュリアキャメロン/管靖彦 サンマーク出版)」という本です。

※ところでこれ著作権の問題大丈夫ですよね?侵害するつもりは一切ありませんので!!

 

この本の中にはたくさんのワークがありますが、「モーニングページ」というメインワークとも言えるものがあります。

これはその名の通り、起床時ノートに頭の中に浮かんできた事を「そのまま」書くというものです。そしてこのモーニングページは、書く内容には一切の制限がなく、正直に書くということを大切にしています。

※私は朝にこだわらず、出来る時間帯にやっていますけども。

 

私たちの頭は常に忙しく働き、数多くの思考が浮かんではしっかり認識する間もなく消えていきます。それをノートに書き出すということですね。

 

私はこのワークを始めて2か月くらいですが、自分でも驚くような変化が出てきました。

 

 

2、感情の解放

このワークをやり始めたころは、所定の量書くことが苦痛でした。モーニングページはノート3ページという目安が提示されていますが、私はまずは1ページを目標にしていました。それでも1ページ埋めるのも苦労していたんです。

私は普段から書くこと、心情を言葉にするのには慣れていたつもりでした。

ですがまあ埋まらない!おまけに「自分はこんな醜い事を考えているのか」というようなものも正直に書きますから、とても苦しいのです。

 

普段書く文章はある程度整理して文章にしていますから、比較的綺麗な文章です。

しかしこのモーニングページは、頭に浮かんだことをそのまま書くのを大事にしますので、怒りや嫉妬等も加工せずに記していきます。自分でも書くのをためらうようなものもたくさんあります。

 

私のノートには怒り、嫉妬、後悔等の負の感情から出る言葉が大部分を占めていました。特に怒りはとても激しく、自分でも「ひく」ぐらいです。

まさが自分がこんなに怒りを感じていたとはと、少し怖くなりました。

ただモーニングページをやっていると、強烈な怒りが出てくることは珍しくないことのようですので、少し安心しました。

 

この感情や思考が適正なものかどうかは問題ではなく、私が実際に思った・感じたということが大切なようです。

確かに私はたくさんのことに怒りを感じてましたが、適切に消化できず自分の中に溜めていったようです。それらを認めざるを得ませんでした。

 

 

3、1人の私の中にいくつもの私

このワークをやり始めて思うようになったことがあります。それは1人の人間の中にはたくさんの顔があり、それぞれが「私」に欠かせない重要な要素だということです。

 

怒りっぽい自分、優しい自分、怠け者、激情家、卑怯….

 

「いい人」なんていない。もちろん人によって目立ちやすい声の大きい自分がいるでしょう。それに自分の置かれている状況によって、それぞれの存在感というか、表に出てくるキャラの割合も変わると思います。苦しい時に優しいままでいることは難しいように。

 

「真面目な人」なんていないのではないか。「いつも優しい人」もいない。それなら「怒りっぽい自分」も受け入れざるを得ない。その自分も大きな声を出しているのに、そいつを自分からはじくのはフェアじゃないし、可哀相だと、思うようになりました。

 

 

4、忘れていた記憶の復活

そして自分に驚くべき変化が起きました。昔の記憶を鮮明に思い出してきたんです。

その記憶の中には、私が強迫性障害を発症した時期の前後の記憶や、一番苦しかった時の記憶もあります。

 

少しブログでも触れましたが、私はその頃の記憶をあまり覚えていなかったんです。あまりに苦しい時期でしたからね。

思い出したくない記憶ですが、モーニングページには正直に書くことを大切にしていますので、この記憶も書いていきました…

苦しいのに文章を書くペンは止まりません。いつもよりページ数も多くなりました。

かなり鮮明に思い出したので、気持ち悪いわ、しんどいわで、「これ止めた方がいいんじゃないか」とも思いました。

 

ですが本には「傷を癒して前に進む為には、傷を受け入れて悲しみ直さなければならない」とあり、何かを掴めそうな気配も感じたので、続けることにしました。

 

当然記憶と結びついた感情もリアルに再生されました。息苦しさ、辛さ、惨めさ、心細さ….

覚えていないと思っていた記憶は、全部自分の中に残っていました。

 

そして楽しかった記憶も自分から出てきました。その頃の自分がどんなことを思っていたのか、本当にたくさんの記憶が出てきました。そしてもう一つ、自分にとって意外に感じたことがありました。

それは思い出しても、苦しみに支配されていないということです。

 

 

5、昔の自分と繋がる

当時の記憶を思い出した時、「こんなにハッキリ思い出して、また精神的に参ってしまうんじゃないか」と怖くなりました。でも意外と大丈夫だったんです。

もちろん現在、自分のことに加え母の病気等で精神的に相当きついです。よくもってるなあと不思議なくらいなのです。

 

体調を崩す前は、どんな気持ちで友達と接していたのか。病気で苦しい時、どんな感情を周りに抱いていたかをハッキリと思い出しました。苦しくて苦しくて仕方なかったです。

でも「怒りの自分」を認めざるを得ないと思い始めた時、「怒りの自分」と繋がったような気がしたんです。同じように「嫉妬する自分」や、「苦しい中なんとか周りに付いていこうとしていた自分」も。

 

まだまだ全員を受け入れたとはとても言えませんが、すこしだけ苦しかった時の自分と今の自分が繋がった気がしたんです。

 

私は後悔ばかりでやり直したいと思う事はしょっちゅうですが、その頃の記憶が戻ったことで、その頃の自分と繋がった…

それでもきついことに変わりはないです。受け入れたことで、向き合わざるを得ないこともたくさん見えてしまいましたから。

 

 

6、それでも続ける

以前私は記憶が無くならない限り、自分の病気は治らないと思っていた時期があります。

病気のことを忘れている瞬間があっても、またすぐに「あっ、今忘れてた」という具合に、元に戻ってしまっていたからです。

 

ですが今回、「自分が苦しかった時の記憶は無くならない」、でも「元気だった時の記憶と身体の実感も無くならない」事に気付きました。とても苦しいワークではありますが、これからも続けていこうと思ってます。

 

苦しかった時の記憶は消えない。けれども元気な時の自分も自分の中にちゃんと残っている。「怒りっぽい自分」以外にもたくさんいる自分を味方に出来れば、もっともっと生きやすくなるかもなあと思いました。

 

でも記憶って怖いですね。忘れたつもりでも残っている。特に過去の経験からトラウマを抱えている人にとっては、やっかいなことだと思います。

私にも苦しい記憶はたくさんあります。もしかしたら誰にでもそういう記憶はあるかもしれません。

 

これからはこれまで満たされなかった自分を満たす、癒す方向に進んで行ければいいなと思います。