強迫性障害を乗り越えた先に

強迫性障害が治る時、それは新たなスタートです。

回復は気付きの連続

こんにちは。yonesonです。

最近暖かい日が増えてきましたが、過ごしやすいだけではないですね。

気温差で服装にはこまるわ、眠気が強いわでなかなか調整が難しい時期でもあります。とは言えもう少ししたら梅雨になるので、また面倒な季節になります。

自分にはちょうどいい時期は無いのかとも思いますが、もう少し季節を堪能出来るようになりたいなと思います。

 

本題ですが今回の記事は、「気付き」に焦点を当てて書いてみました。

私にとって病気の回復は気付きの連続でもありました。私が回復の過程で気付いたことはまだ解決していないことも多いのですが、それでもこれからの私にとって大事なことでもあり、一度それらを整理する意味でも記事としてまとめてみたいと思います。

 

目次

 

 

1.物事を振り返るとき

物事が上手くいってる時は何かを振り返って修正しようという気は起きないと思います。ところが病気や挫折等に直面すると、ネガティブなことを含め色々なことを考えるようになります。

私にとっては、「これまでの自分のここが悪かった」、「今の自分のここが駄目だ」等の後悔や自責、怒り等の暗い感情がほとんどでした。

これはやばいです。きついです。日々それらを繰り返していました。

もちろん建設的な反省ではなく頭の中で繰り返すものなので、自分が傷つき、疲弊するだけで終わります。

 

ところが体調が回復するにつれ(もしくは順序が逆で思考が先かもしれません)、「もしかしたら昔の自分の行動、歴史にも意味があったのかもしれない」と思うようになっていきました。

鶏が先か卵が先かのように、体調が悪いから悲観的になるのか、悲観的に考えるから体調が悪くなるのかはわかりません。もしかしたら両方かもしれません。

 

 

2.気付いても楽になれない

私はリワークプログラムでたくさんの認知行動療法を学びました。

認知療法には多くの種類があり、役立ったものもあれば自分には合わなかったものもありました。

もちろん「思うようにします」のような口先だけの修正に意味はありません。こっちは「そう思えない」ことで苦しんでいるのですから。

 

私は体調を崩した原因は学校や職場等の環境だけでなく、私自身の物事に対する心構えも大きな要因だと思っているので、物事を振り返って直面した事実は私にとってきつく、しんどいものばかりでした。

「人に解決してもらおうとする姿勢」、「人より優れていたいと思う心」、「人のせいにする傾向」.......

どの気付きも自分が情けなく惨めになるようなものばかりです。

 

「おい、どうすんだよ。俺何にも成長していないじゃないか。それなりの年齢としてふるまおうとするだけで、何も育ってない….」

周りの人は失敗も含めて経験として糧としているのに、自分は何もない….

親に保護される時代はとっくに過ぎている。なのに育ってない......

 

自分と向き合おうとしてもこんな考えばかり浮かんでくるんです。

「向き合うってこれでいいの? 一向に楽にならないし、救いもないんだけど」

受け止めることが出来れば楽になれると思っていたのに、気付きば気付く程、認めれば認める程苦しくなるんです。

 

恐らく病気になった人はほとんど全員が自分を責めたことがあると思います。「過去の自分」、「今満足に生きることが出来ない自分」、「将来に希望を持てない自分」….

振り返り気付いたこと全てが自分を責める原因になります。(実際は違っていても)

 

このように自分の振り返りは進んでいきました。そしてアドラー心理学によってトドメをさされました。(笑)

(前回の記事で少し反論しましたが、それでも痛いところを突いてくる刺激的な考えです。)

 

 

3.なんで自分だけと思っていたけど...

ところで体調を崩す原因は人それぞれだと思います。

オーバーワークで体調を崩した人は、間違いなく「ゆっくり休む」ことが必要です。ですが私は10年以上通院治療していたのに良くならなかった。私のように時間がかかり過ぎた場合は、何か病気に繋がるような震源があるかもしれません。

ですが私はその震源にうっすらと気付いた時、もう挽回出来ないと思いました。

他の人と同じ時間があったはずなのに、有意義に使えなかった。その思いは正直今も自分の中にあります。

今ここがスタートライン。人生気付いた時に「今ここ」から始めるしかないというのは、ある意味真理だと思います。ですが私はなかなか切り替えることが出来なかった。

 

もう少し早く気付けばどれだけ素敵な時間を過ごせただろう....悔しい、ずるい、辛い、やり直したい、取り戻したい....

こんな考えに囚われることになりました。

 

ですが色々な人の話や考えに触れると、このような想いをしている人が少なくないと感じます。

世の中本当に色々な人がいる。でも一部分の人間関係だけを見ていると皆が順調に見え、SNSを見ても「キラキラしやがって」というような子供じみた嫉妬心が湧いてきます(笑)

 

でも人生のどこかでハンデを背負い、それでも人生を歩んでいる人が驚く程多いと知りました。

※もし共感していただけるのであれば、BUMP OF CHICKENの「イノセント」という曲がオススメです。なかなかしびれますよ。

 

また私が「この人って豊かだな」と思うような人は、このような時期を乗り越えてきた人が多いように思います。

挫折や苦渋を味わってきて、それがちゃんと自分の中で居場所として落ち着いている。

ということはいつかは俺も?….

 

ちなみにすぐに怒る人はこの悩み苦しんだりしたことを、自分の中に落ち着けることが出来なかった人かもしれません。

自分にとって痛いことを指摘されても、怒ればその機会から逃げることが出来ます。その代わり成長も出来ませんし、人も離れていくかもしれません。

年齢を重ねても成熟していくことはない。

 

そういう意味ではしんどいこととしっかりと向き合おうとしてる人は今、人として成熟している時期かもしれません。

 

向き合わないことって結構簡単なんですよね。忙しくしたり、怒ってごまかしたりすればいいわけですから。

 

でも私は病気になり向き合ざるを得なくなった。病気になった人の多くは向き合わざるを得なくなったのではないでしょうか。

でも問題はここからなんですよね。私はスタートラインにようやく立ったにすぎない。

周りはだいぶ先を進んでいるように見える。さてどうするか….

 

 

4.人との間での気付き

また私の気付きは、リワークプログラムの仲間による部分も大きかったです。

以前のブログでも触れましたが、このプログラムでは様々なワークを通して、人と話す時間をたくさん持つことが出来ました。

 

yoneson.hatenablog.com

 

そこで発信したりフィードバックを受けたりしましたが、人と話すことは、

「物事からの距離」、②「口に出す大切さ」、③「問題を見る目を養う」の3つのポイントがあると感じました。

 

①「物事からの距離」

病気に限らず煮詰まって袋小路に入っている時は、同じ結論にしかたどり着きません。考えを構成する要素が変わらない訳ですから、同じ結論に至るのも当然で、私は解決どころか「また駄目だった」と傷が深くなるだけでした。

 

ところが他の人は私の抱えている問題を遠くから見ることが出来る為、状況を俯瞰的に捉え、自分が気付かない部分を指摘してくれるのです。

ただしんどい部分や認めたくない事を指摘されると、カチンときたり(笑)、落ち込む事も多々ありました。

それでも自分だけで100回悩んでも思い至らないアドバイスをもらえることもあり、人に話すことの効能を強く感じました。

 

②「口に出す大切さ」

自分の気持ちを口に出すことは、抱える問題の整理に繋がります。

私は人に本心を話すということをして来なかったので、最初はかなり苦戦しました。上手くまとめて話すのも苦労しましたし、なんだかくすぐったいような落ち着かない気持ちにもなりました。

ですが続けていくうちに少しずつ気持ちを言語化するのにも慣れ、逆に発信するのが楽しみになっていきました。そして話していくうちに自分の問題点にも気付いてきました。

 

③「問題を見る目を養う」

人の話を聞く中で、本人が大きな問題として捉えていることでも、解決策があるんじゃないかと感じる事も多々ありました。でも本人に向かって軽はずみなことは言えません。

中には無責任に上から目線でアドバイスを言う人もいましたが、そういう人の意見はスルーしていいと思います。

 

これも問題との距離が関係していると思います。自分の問題となるとてんで駄目なのに、人のことだと偉そうに意見出来てしまう。

私も人のことを簡単に理解出来たつもりにならないよう気を付けましたが、人の問題に触れるなかでほんの少し多角的な見方が出来るようになり、人を通じて自分の問題の整理が進んでいきました。

 

 

5.気付きはスタートラインに過ぎない 

この「気付き」、気付かなきゃ良かったというものもたくさんあります。

気付いてしまったら気付く前の自分には戻れない。気付いてしまったが故に自分の小ささ、未熟さを知ることになってしまった。

しかも解決しなければならないものが、今の自分から見たらとてつもなく大きなものに見え、「無理、逃げたい」と思ってしまう….

 

ですが自戒をこめて書きますが、気付く前は袋小路にいる為八方塞がりなのに対し、気付けた自分は選択肢を持てたとも言えると思うのです。

何を選ぶか、決めるか、立ち向かうのか、抑圧するか。苦しくとも道が見え進む余地が自分に生まれた、手にした。

 

とても苦しいことですが、私は気付きを大事にしたいです。

もちろん気付きは人との出会いだけでなく、テレビや本、音楽の中にもありました。そして私はそれらに大いに助けられてきました。

それでも人との出会いは「受け取る」⇔「伝える」という双方向的なものです。人と話すことで大きな気付き・フィードバックを得られ、私にとって回復の大きな力になったことは間違いありません。