強迫性障害の概要と回復の兆し
こんにちは。yonesonです。
最近暑くてまいりますね。熱のこもった体育館でバドミントンをしていると倒れそうになります。全国で重篤な健康被害も出ていますし、気を付けなければ。
今回は久しぶりに強迫性障害についての記事を書きたいと思います。
まず病気全体の概要を記し、そこから私が回復のきっかけとなった「こと」について触れていきたいと思います。
というか今更ですが、この「強迫性障害」という呼び名、なんとかなりませんかね。どうしたって「脅迫」という言葉が連想されて、私は嫌ですねぇ。
さて、前置きが長くなりましたが本題をご覧くださいませ。
目次
1.強迫性障害の中身(強迫観念+強迫行為)
まず始めに病気の概要を説明しますと、強迫性障害という病気は大きく分けて、強迫観念と強迫行為という二つのものから成り立っています。
詳細は下記で述べますが、簡単に述べると根拠がない思考・不安が次々に浮かんでくるのが強迫観念。その不安を打ち消す為にやらずにはいられない根拠のない行動を強迫行為といいます。
代表的な例として、
強迫観念⇒鍵をちゃんとかけただろうか?
強迫行為⇒何度もドアノブを回して確認or家に引き返して何度も確認
が挙げられます。
これらは冷静に対処出来るものではありません。そして生じた不安に対処する為には、強迫行為を行い一時的な安心を得るしかないのです。
しかもこの思考・不安は何度も繰り返し浮かんでくる為、その度に「強迫行為を行い、また安心する」という終わりのないループを繰り返すことになります。
これらの症状は自分・家族でも正しく理解することが難しく、抱え込んだままでは周囲の人間を巻き込んで様々な関係を壊していくと思います。
今は本やネットで様々な情報が溢れていますが、当事者だけで正確に理解し治療に繋げることは難しいでしょう。
もちろん最後には自分の意志・態度がカギになると思いますが、躊躇することなく医師の力を借りるべきだと思います。
2.強迫観念
強迫観念とは自分でおかしいとわかっていても、次々に浮かんできてしまう歪んだ思考のことです。
その為症状に苦しむ人が必死の想いで周囲に自分の苦しさを訴えても、正しく理解してもらうのが難しいのです。
これは本当に苦しいことです。体の病気であれば比較的理解もされやすいですが、この病気は外から見てわかるような患部がない為、説明するのが難しい。
家族も心から心配していても、どう対応していいか分からない。
だからこそ空回りし、互いに傷つけていくという悲しい循環になりがちです。
そして強迫観念が恐ろしいのは、次々に浮かんできていつまでもへばりつくことです。
例えば「医者に診てもらって異常無かったし、安心だ」と自分に言い聞かせ、自分を納得させようとしても、次々に浮かんでくる観念はその束の間の安心を一瞬で吹き飛ばします。
終わりがないのです。
3.強迫行為
強迫行為は強迫観念とセットになっていて、浮かんできた観念に対処する為、やらざるを得ない行動のことです。
例えば
・鍵を何度も確認する
・何度も病院に行って検査してもらう
・畳やタイルなどのマス目に異常にこだわる
等人によって異なる為、無数の強迫行為があります。
この強迫行為は例えば
「あれ何か音がしたかな?玄関を確認してみよう」というような論理的な思考ではなく、あくまで「自分が安心する為の自分だけの行動」の為、客観的に見ると奇妙な行動に映ることも多いと思います。
その為症状が重いと日常生活を送るのも難しくなります。
私が印象に残っている自分の強迫行為はウォーキングです。
こう書くと「?それのどこが苦しい強迫行為なの?」と思う方もいるかもしれませんね。
私は昔不安を小さくする為に、雨の日も雷の日も歩いていた時期がありました。
きっかけは不安で気が狂いそうだった時に少し歩いてみると、多少気分が晴れ不安も小さくなっていたことです。
これだけだと正常にも思えますが、当時は「歩く」ことしか不安を小さくする手段を知らなかった為、来る日も来る日も歩き続けていました。
4.私の回復の兆し
今ではこのようにこれまでの症状と流れを文章にすることが出来ますが、当時はとても出来ませんでした。親ともぶつかり、友達にも話せない、まさに八方塞がりです。
それでも自分を振り返り、人に話す機会を多く得られた為、整理して話すことが出来るようになっていきました。
さてここから少し長くなりますが、もう少しお付き合いくださいませ。(笑)
私の回復に役立ったのは以下のものかなと思っています。
①.あるカウンセラーとの出会い
②.アルバイト
③.自分での気付き
①あるカウンセラーとの出会い
これは「強迫行為の欄」で書いた「無茶な歩き」を辞めるきっかけになりました。
当時の担当カウンセラーは、私の思考⇒感情⇒行動の流れに注目しました。
当時私は
~だったらどうしよう→不安→歩く
もう手遅れだ、どうしようもない→不安→歩く
先に進むのが怖い→不安→歩く
というような思考状態でした。
ここで注目すべきは、感情とそれに伴う行動が全て不安→歩くと言う点です。
カウンセラーのアドバイスは2点で、
1.どんな思考が浮かぼうが、不安に対して今より上手な対処出来れば楽になる。
2.結構グサッと来たのですが、「今のあなたの目的は何ですか?」という問い。
そしてカウンセラーに、「あなたの目的に対するアクションが歩くことなんですか?」と言われ、正直ムカッときました。
こっちは毎日余裕がなく、必死の思いで一日を乗り切っている状態でしたから。
でもその時に初めて病気以外に意識がいき、病気だけにピントが合っていた自分に気付きました。
そして「”自分”がどうしたいのか」と考え始めるきっかけになりました。
そしてそのカウンセラーから「歩き禁止」例が出されました。
これは地獄でしたね。自分の不安に対処する唯一の手段を封じられたのですから。
これは曝露反応妨害療法という治療法の一種で、強迫行為をあえてしないものです。
一時的に不安が極大になるものの、自然に小さくなっていくことを実感し、強迫行為をしなくても大丈夫だったという実感を得る事が目的です。
ただしこれは我流ではやるのは危険すぎます。なぜなら不安に対処するために、日常生活や人目を無視してでもやっていた行為を止めるわけですから。
このチャレンジは私にとって非常に苦しく、しかし有意義なチャレンジになりました。
最初はとにかく気が狂うかと思いました。不安が究極に高まり他のことをする余裕なんてありませんでした。
ですが徐々に「意外と平気な自分」になっていきました。
これは大きな成果であると同時に、次のチャレンジが迫っていることでもありました。
つまり強迫行為の時間が減ったという事は、自分の課題と向き合うことでもあります。
強迫行為が自分にとっての目隠しになっていたわけです。
苦しくて苦しくて仕方ないけれど、その間は自分の問題の核心に向き合わなくて済むので。
②.アルバイト
これも本当に効果的でした。最初は単発の派遣から始めました。
最初からフルタイムで仕事をする自信は無かったものの、今より先に進むには仕事が欠かせないと思ったからです。
このとき症状は落ち着いていましたが、まだ不安や観念が浮かんでくることがありました。
ところが作業をしていると自分の観念以外に意識が向かざるを得ない為、少し症状が薄まるのです。
今思うとこの「症状以外に意識が行く空白の時間」というのが、回復に向かう鍵です。
確かに病気で苦しいときは1分1秒が症状に翻弄される日々です。
でもごくまれに症状以外に意識がいく「空白の時間」があると思います。
この空白の時間が少しずつ一日の中で増えていくと、症状も確実に小さくなっていきます。
例えるならコップ一杯の中に苦い塊が入っていて、占める割合が多ければとても苦い。
しかし同じ塊がプールの中に移れば、少し味はするものの大して苦にはならないといったイメージです。
つまり症状が少し残ったとしても、日常生活に支障が出ない範囲であればなんとかやっていけるのです。
病的なレベルから心配性のレベルに下がるイメージですかね。
最初は一日働くだけでくたくたでしたが、そのうち仕事も覚え、顔見知りも増えていくと少しずつ呼吸をしやすい場所になっていきます。
そして仕事の日数を増やしていく事が出来ました。
ちなみにこの空白の時間は仕事以外にも、スポーツ等もおすすめです。
家から出られるようであれば、以前やっていたスポーツや趣味等もいいかもしれませんね。
③.自分での気付き
そして最後の「自分の気付き」については、以前書いた記事「アドラー心理学」によるものです。
今回の記事では詳しくは書きませんが、「病気のせいで何も出来ない」から「病気がなくなったら何と向き合わなくてはならないか」という転換が出来たことで、病気の本質と向き合えたことが大きな転機となりました。
5.最後に
最後に病気の回復の過程で感じたことを述べて終わりにしたいと思います。
それは情報に振り回されないことが大事だということです。
今ネットや本等で病気の情報はたくさん出ています。
ですが病気はその人独自のものなので、この病気にはこれさえやればOKというような魔法の杖は無いと思います。
それどころか膨大な情報の中から正しい情報を拾うことが出来ず、かえって混乱して自分の状態が分からなくなっていくと思います。
私は病気に繋がった何か大切なものと向き合うことで、よりよい生き方に繋がっていくと思います。
このあたりは私個人の見解ですのであしからず。薬により楽になれば色々なことが出来るようになるのは間違いないですしね。
つまりBelieve in myself!!