大学受験の記憶
お久しぶりです。今回5回目の記事更新です。
最近は朝と夜の気温差が大きくなってきましたね。
個人的には夏が終わり少しずつ寒くなるこの時期は、淋しくなるのであまり好きではありません。この時期はアレルギーも酷いですしね。
さて今回は前回は、高校3年生の時の大学受験について書いてみます。
結論から述べますと、私は現役で大学に受かり進学しました。ですがこの時期は本当に苦しかった。
前回の記事で強迫性障害を発症し、目に意識が集中してしまうことで、自然に「見る」という事が出来なくなった事を話しました。
当然教科書や参考書を読んでも勉強なんて出来ない。
ちなみに私は理系でした。昔から理科、数学が好きだったのと、自然や環境問題が好きでそれに関係するような仕事に就きたかったので、文理コース選択の時は全く迷いませんでした。
※ここからは前回同様文体が「である調」に変わります。
読みにくいかもしれませんが、当時の心情を表す為なので、ご了承を。
当時は苦しくても大学受験に向けて進むしかなかった。
昔から真剣に自分の進路を考えたことはなく、高校も自分の偏差値に合ったところを受験し、受かったところに行く。
そんな感じで皆がしていること、流れに乗って進むだけで疑問を持ったこともない。
だから高校の次は大学という考えしかなかった。
それともう一つ。自分の大学受験には父親が大きく絡んでいる。
父は高卒で大学教授を相手にする仕事をしていた。当時は高校を出て働くというのはごく一般的だったそうだ。
そして職業柄、初対面時に多くの教授が「出身大学はどこか?」と聞いてくるらしい。当然父は「高卒です」と答えるしかない.....
また会社の同僚も大卒というだけで、父より給料が多かったとのことで、父は仕事の中で自分が高卒というコンプレックスを刺激され続けてきた。
そこで父はコンプレックスを協力なエネルギーにして、成績もトップであり続けた。
そのような経緯から、自分の息子に大学は絶対に出てほしいと強く思うようになったそうだ。
今は大学に行かせてくれたことに感謝しているが、当時は自分にそんな精神的余裕はなかった。
少しでもいい大学に行って欲しかったらしく、センター試験、一般入試、補欠入試併せて20校は受けさせられた。
もちろん口で「今はつらいし、そんなに受けることは出来ない」と父に反抗する手もあったのであろうが、自分は人に「自分はこう思っている」と伝えるのが苦手ではっきり言うことは出来なかった。
その為不機嫌になりつつも、渋々受験していた。受かったのは2、3校だが….
今こうして文章に書くことで当時の状況をまとめているが、相当苦しかったからか高校3年の時の記憶は他の時期と比べてあまり残っていない。
もしも当時の自分に会えたら、抱きしめて「よく頑張ったね」と伝えてあげたい。それくらい苦しい時期だった。
だから大学受験の時を思い出すと非常に複雑だ。
大学に行ったことで選択肢も広がり、貴重な大学生活も経験出来た。
だが父に対する強烈なわだかまりも抱えた時期だったので、感謝と苦しさ、怒りが詰まった複雑な記憶となった。
自分も働き始めてお金を稼ぐ大変さが身に染みてわかった。
自分の為じゃない、自分以外の人間に苦労して稼いだお金を惜しみなく投入してくれた事について、一生かかっても恩を返しきれないと思っている。
でもそんなふうに思えるようになったのは10年近く後になってのことだ。
次は大学時代の振り返りをしたいと思う。
正直な話前回も述べたが、「ですます調」だと当時の自分の気持ちを伝えにくいなあと思った。
これから文体の統一も含め課題は多いが、一つずつ楽しんで記事を書いていきたいと思う。
それではまた!