強迫性障害を乗り越えた先に

強迫性障害が治る時、それは新たなスタートです。

アドラー心理学と私の不安障害

みなさんこんにちは。yonesonです。

早いものでもう一年が終わりますね。

この一年は色々ありまして、考える事も多い一年でした。

 

私は自分の考えをアウトプットする練習として、このブログを始めました。

私はこれまで「考えたことを外に出す」ことをあまりしてこなかった為、自分の選択に自信が持てないという感覚がありました。

そこで「自分の考えている事を形にして外に出す」という練習をしてみたくなったのです。

 

今のところ自分自身に大きな変化はありません。

ですが初めはブログの始め方すら分からなかった私が、今はこうして曲がりなりにも「ブログを書く」ということが、出来るようになりました。

 

さて今回はアドラー心理学の本を読んで感じた、自分の不安障害に関する考察を述べたいと思います。

私が特に衝撃を受けたのは、アドラーが不安障害などをどう捉えているかについて書かれた本です。

 

さて今回の記事はかなり主観に基づいた記事になっています。

特に病気の見解についても述べていて、これは読む人によっては不快な文章にもなり得る可能性があります。

また、アドラー心理学について私なりの見解も多分に混じっている為、思うところがある方は見ないでいただきたいと思います。

 

 

※いいですか?注意は促しましたからね!(笑)

 

 目次

 

1.アドラー心理学との出会い

その本には様々な病気・症状について、アドラーの見解が書かれていましたが、「症状があるから出来ない」ではなく、「問題に直面することから距離を置く為、もしくは決断する事からの回避の為に症状をつくりだし、それを使う」と書かれていました。

 

初めてそれを読んだときは、「はぁ?こんなに苦しいのに自分が症状をつくっている?ふざけんな!」と思いました。

でも同時に心に引っかかるものもあり、ものすごく痛いところを突かれているのに、どこか痛快な感じもしたんです。

 

本を読み進めていくと、腹立たしい程に自分に当てはまる部分が多くありました。

これまでの記事でも触れましたが、私は昔から何か問題が発生したときや、人に自分の考えを言わなければならない時に、正面から取り組む事が苦手でした。

 

例えば部活で試合をしている時も、勝てそうにない時に本気でプレーすることを辞めてしまう事がありました。

例えば「今日は風が強い」、「暗いからボールが見えにくい」等の理由を使って….

そうすることで勝てなくてもしょうがないと、自分を納得させてきたのです。

それは「調子が良ければ勝てる、もっといい試合が出来る」と思いたかったからです。

それに本気で戦って負けると、言い訳が出来なくなってしまう。

実際には人は、本気を出している人を馬鹿にしたりはしないし、誰にも言い訳をする必要もないのに.....

 

アドラー心理学はその点を痛いほどに突いてきました。

 

この考えは賛否両論あると思います。あって当然です。

症状の苦しさを知らない人がこの理論を読めば、「やっぱり仮病だ、逃げているだけだ」という大きな攻撃材料として使う危険性もあります。

 

ですがこの考えが衝撃なのはそうではなく、今まで投薬治療やカウンセリングを受けても治らなかった人が、この考えに引っかかるものを感じたとしたら、病気に対して新たな視点を発見し、突破口となり得ることを示している事だと思います。

もしそうであれば、これからはその事実を認めて、自分で考えて決めて行動することで、元に戻る回復というより、新たな態度・姿勢で人生に臨むことが出来る。

 

 

2.それでもしんどい

とは言え私にとっては、それがものすごく大変なことなのです。

私の話に戻ると私はもうすぐ仕事に復帰というところまできていました。

でもそこから先にどうしても踏み出せない。怖さと不安で気がおかしくなりそうでした。

 

アルバイトでも疲れるのに正社員になると責任や様々な成果を求めらる。

短期アルバイトなら「あと何日踏ん張れば」という考えが使えるが、正社員ならばそれも使えない(実際はそんなことないのですが...)

そんなの自分に出来るわけないと思っていました。

 

先に進む事が出来ず、かといって今の状態は毎日不安と焦りにとらわれ、しんどい。

進まなきゃというアクセルと、とどまっていたいというブレーキを同時に踏み続けているようで、消耗が激しかったです。

 

 

3.気付いてしまった....

でもその頃、「自分は前に踏み出すのを恐れているだけかもしれない」と薄々気付き始めていたんです。

「これ(症状)さえなければ色々やれるのに!」というのは、「これ(症状)がなくなれば先に進まないといけない」と思っていることではないか。

 

だとすると、自分が症状を手放すことはないかもしれないと思いました。

「そうすると症状がなくなれば….という日は、恐れている限り来ないから、本当に自分がやりたいと思うことをやることでしか、苦しさから抜け出すことは出来ないんじゃないか?」と思い始めました。

 

けれども困った…..

自分は今まで「人に遅れないように、怒られないように」と行動してきたので、自分の頭で考えて、決めるということをあまりしてこなかったのです。

「これやりたいな、いいな」と浮かんでも、お金もないし、親にも反対されるだろうしというように、自分の望みを打ち消してくる事を繰り返してきましたから、自分の選択に自信が持てないんです。

 

実際にはお金がない、親から猛反対されたという事はあまり多くなく、そういう気がして、自分からやらないケースがほとんどだったのですが…

 

今まで仕事に就けばこれもやりたい、あれもやりたいと考えてきましたが、それらに着手するのが怖い為に、先延ばしにしていただけだった。

私は高校の時に強迫性障害になりましたが、それはきっかけでしかなく、小さい頃から同じスタイルで過ごしてきていた….

 

とても恐ろしくショックな考えでしたが、今までの多くの点が繋がった気がしました。

同時に光も見えました。

「自分と向き合い、自分で決めるという事に取り組む事で、しっかりと生きていくことが出来る」と!

 

もちろん後悔も多いです。学生の時にもっと色々やっておけばよかったとも思います。

でもそれはだから言える事です。自分は今からやっていかなければならない。

過去のせいにするのは楽です。今しないといけない事から目を背ける事が出来るからです。

「本当に皆こんな事と向き合ってんの?俺以外の人みんなすごいよ」と改めての劣等感も感じますけどね….

 

 

4.最後に

正直今も、この自分の頭で考えて決めるというのをしっかりやれている自信はありません。

でも生きていく事は選択の連続で、そこから逃げる事は出来ない。

 

多分自分に必要なのは、

「小さくても自分で決めることを繰り返すこと」と、「肩の力を抜いても大丈夫なんだよ」という、自分への声掛けかなと思います。

 

アドラー心理学によって気付いた事は大きな成果ですが、それでもこれまでの自分が真面目に頑張ってきたことも間違いない。

それにすごい苦しかった時間を乗り越えてきました。

自分を責めるのは、自分が可哀そうだし、これからは「自分が選択したことは大丈夫」という、自分を肯定する生き方をすることが大切だと思います。

 

自分を信じるという自信、それをこれから育てていきたい。