強迫性障害を乗り越えた先に

強迫性障害が治る時、それは新たなスタートです。

発される言葉について

あけましておめでとうございます。yonesonです。

今年も自分の言葉を出していくことを大事に、一年を過ごしていきたいと思っています。

 

新年の1発目は「人は自分の発する言葉にもっと自覚的であるべき」というテーマです。

誰もが家族、友人、自分に対して毎日言葉をかけていますが、その言葉の内容によって「人は大きな影響を受ける」と感じた為、文章にしてみたいと思いました。

以下、「①人への言葉」、「②自分への言葉」の二つについて考えを述べていきたいと思います。

 

 

①.人への言葉

言葉が人に影響を及ぼすことについて真っ先に浮かんだのは、人を傷つける言葉を使う人達です。

その人達は自分の言葉が人を傷付けている事を自覚しているのでしょうか?

 

もし自覚しているのなら相手の反応を見て楽しんでいるのかもしれないし、自分は正しいことを言っているのだから、相手がどう感じるかは問題ではないと思っているのかもしれません。

 

もしくは自分の言葉が「相手にどう捉えられているか」、「相手がどう受け取ったか」を想像する力に乏しいのかもしれません。

 

恥ずかしい話、以前私は相手の気持ちを想像することが苦手だったと思います。

それが少し改善されたのは、病気になって色々な事を考えるようになったことがきっかけだと思っています。

 

・なぜ自分は苦しいのか、どうすれば楽になれるのか。

・自分の何がいけなかったのか、どこを直せばいいのか。

 

上記のような事を何度も何度も考えて、「これはまずい!」と思ったことの一つが自分のこれまでの言動でした。

 

私は現在は少しはマシになったと思いますが、結構自分勝手な部分があります。

学生時代は特に酷く相手をイライラさせたり、傷付けるような物言いもずいぶんしてきたと思います。

 

私は強迫性障害が酷かった時、行動力・思考力が低下し能力が著しく落ちていました。

そのような時期に人から「そんなことも出来ないの?」とか、「結局は逃げてるんだよ」などの言葉を多く言われました。

その時は怒りを感じるというよりも、「そうですよね、迷惑かけてすいません」等、"その通りだから申し訳ない"のような反応を返していたのですが、正直かなりきつかったです。

 

その時初めて、「弱っている時は相手に悪意はなくとも、ちょっとした言葉でも大きく傷つく」という事を実感しました。

それから改めて昔の自分の言動を振り返ってみると、「あー、自分にはこれを言ったら相手がどう感じるか」と考える想像力が足りなかったんだと気付きました。

 

その気付きもしんどかったです。あんな言い方してたら、人が離れていくのも当たり前だよなぁと…..

 

それからは相手の気持ちを考えた言動が以前よりは出来るようになったと思います。

考えすぎて自分が思ったことを外に出さずに、しまっておくことも増えてしまいましたが…..

 

そして自分の言葉に気を付ける以上に、人の無神経な物言いにとても敏感になりました。

 

確かにいつも優しい言葉をかけるだけで、言うべき事を言えないのは問題だと思います。

それでも相手が弱っている時は、ちょっとした言葉でもダメージになり得るし、極端な話、人を死に追いやる可能性もあると思います。

だからこそ言葉は大切だけど、恐ろしい凶器にもなり得るのだと思います。

 

 

②.自分への言葉

もう一つ、自分のへの声かけも大きな影響力があると思います。

 

私は例えば何かやりたいと思った時に、即座に「今は無理だよ」とか、失敗した時に「なんで出来ないんだ、くそっ!」と自分に怒りを向ける事が多い。

ところが視点を変えてそれが他の人への声かけだと考えてみると、「お前には無理だよ」、「なんでお前出来ないんだ」となります。

これは相手をどんどん委縮させ、行動する勇気をくじく言葉をかけ続けているようなものです。

これじゃあ言われる方はたまったものではありません。

 

スポーツ時もミスをした時には自分を責め、いいプレーが出来たときも「こんなプレーは誰でも出来る、あんまりいい出来じゃない」といったように、自分にはずいぶん厳しい言葉をかけている。

人が同じことをしても、そんな厳しい言葉はかけないのに.....

 

自分はそういう厳しい言葉を、ずっと自分にかけてきたのだなあと思いました。

 

このように「人」にも「自分」に対しても、自分がどういう言葉を発していて、それがどのように捉えられているかという事に、もっと自覚的であること。

そして相手の尊厳を考えた発言をしていきたいなと思います。