強迫性障害を乗り越えた先に

強迫性障害が治る時、それは新たなスタートです。

眼鏡作りに苦労している人へ

皆さんこんにちは、もち丸です。

今回の記事では私がこれまで眼鏡作りに苦労してきた経験から、今眼鏡作りに苦労している方に、何かヒントになるようなことをお伝え出来たらと思っています。

あくまでも素人目線での話ですが、苦労してきた分実感を伴った話です。

それではどうぞご覧くださいませ~。(7分程の記事です)

 

 

 

1、私の目の状態

まず初めに私の目の状態をご説明します。私は「右目が0.01以下、斜乱視」「左目が約0.1、乱視、単焦点人工レンズ」という目です。

 

一番最初に眼鏡を作ったのが17歳の時で、当時から左右差は大きかったようです。そして33歳のときに若年性白内障になり、単焦点人工レンズに替える手術をしました。元々不同視で眼鏡を作るのが難しかったのですが、この手術によって更に左右差が広がり、片目が単焦点レンズになったことで、更に眼鏡作成が難しくなってしまいました。

手術した病院では「あなたの目では眼鏡での矯正は難しい」と言われ、片目にコンタクトを入れた上で、複数の眼鏡を使い分けることを提案をされました。

またコンタクトを使わない時にかける眼鏡は左右で見え方が大きく違い、「距離感がつかみにくい」「肩こりが酷い」「見えない距離が多い」等、とてもかけにくい眼鏡です。

 

他にもいくつかの眼科や眼鏡屋で相談をしましたが、どこに行っても「眼鏡ではバランスのいい見え方は無理」と言われました。正直かなり辛かったですね。

 

 

2、今回自分が作った眼鏡

私は今の状況を何とかしたい一心で、不同視用の眼鏡作りに注力しているお店を見つけ、今回初めて自分に合う眼鏡を作ることが出来ました。一番最初に眼鏡を作ってから22年、白内障手術をしてから実に6年もの時間がかかってしまいました。

 

ちなみにそのお店では近く用、遠く用の2つの眼鏡を作り、それを状況に応じてかけかえることになりました。さすがに1本の眼鏡で全ての状況をカバーすることは難しかったようです。とは言えこれまでもコンタクト+複数の眼鏡を使い分けていたわけですから、2本で済むのならば大した問題ではありません。

値段はフレーム、レンズ、その他加工代等を含めて、1本6万円前後。私の場合2本作ったので計12万円ほどかかりました。

確かに安くはありませんが、私にとっては値段以上の価値があります。

 

ちなみに今回作った眼鏡の左右矯正差は3.50です。一般的に左右矯正差2.0を超えると不同視が起きやすくなると言われているおり、多くの眼科はこの左右矯正差2.0を基準として眼鏡を作ろうとするでしょう。

 

 

3、眼科は眼鏡処方が得意...とは限らない

これは私の個人的考えなのですが、眼科は目の病気を治すプロであって、眼鏡処方に関しては得意ではない眼科も多いのかなという印象です。

そもそも眼科と眼鏡屋では、同じ眼鏡を作るという目的に対しても、立脚点と目指すゴールが違うような気がします。

もちろん一口に眼科、眼鏡屋といっても、技術はピンキリだと思います。眼科にも眼鏡の調製が得意な医師はいるでしょうし、中には視能訓練士という資格を持った人が眼鏡の調製をしてくれる眼科もあります。

 ※私が通院している眼科にも視能訓練士はいましたが、自分に合う眼鏡にはなりませんでした。

ただほとんどの眼科では検査員がオートレフ(気球が見える機械)で目のおおまかな状態を調べ、その後片目ずつふさいで度数と乱視の調整をして終わりだと思います。

 

また眼鏡屋に関しても全国展開している眼鏡屋や職人気質のような眼鏡屋等、色々な眼鏡屋がありますので、どの眼鏡屋がいいとは一概には言えません。

今回私が眼鏡を作ってもらったお店では、様々な検査を1時間以上かけてしてくれましたが、眼科では一人にそこまで時間をかけるのは難しいとも思います。

 

私はこれまで眼鏡を作る際は、眼鏡屋に行く前に眼科で処方箋を作ってもらっていました。やはり眼科できっちりと度数を測ってもらった方が、自分に合う眼鏡を作れると思っていたからです。

ですがそもそも左右差の大きい眼鏡作りが得意ではない眼科で何度眼鏡処方箋を作ってもらっても、いずれもしっくりくる眼鏡にならない可能性が高いです。

 

 

4、処方箋があればどこで作っても一緒?

またどの眼鏡屋を選ぶのかという点も、眼鏡作りに苦労している人にとっては重要です。

私も以前は眼科でしっかりと目を検査してもらったうえでの処方箋があれば、どの眼鏡屋に行っても大きな差はないと思っていました。

確かに処方箋を眼鏡屋に持っていけば、眼鏡屋はその度数で眼鏡を作成してくれます。というかその度数以外で作成することは出来ません。そして目に問題が無い人にとっては、格安眼鏡店でも充分というケースも多いでしょう。

 

ただ眼鏡作りというのは処方箋があったとしても、フレーム選びやレンズ選び、フィッティング調整等、様々な要素がかけ心地に影響します。

例えばフレーム一つとっても、不同視の人に適したフレーム・適さないフレームがあるそうで、ここまで考えて商品を提案するのは、格安眼鏡店には難しいような気がします。

またフィッティング技術もお店(人)によって大きな差があります。私が白内障手術をした当時は3本眼鏡を作る必要があった為、某チェーン店を利用することにしたのですが、そのお店ではフレーム調整を手で行っていました。今思うと信じられないのですが...(笑)。

 

やはり眼鏡に関しては金額にはそれなりの理由があるように感じます。でもそれもある意味当然かもしれません。お手頃価格、眼鏡完成までの時間等、格安眼鏡店ならではの特徴をむしろメリットとして感じる人も多いでしょう。

結局大事なことは、自分が眼鏡屋に何を求めるかという点です。格安眼鏡店だからダメということではありません。

ただ個人的には今眼鏡作りに苦労している人には、全国展開している眼鏡屋はお勧めしません。

眼鏡にはフレーム代、レンズ代等様々な金額要素がありますが、一番お金をかけるべきなのは技術代だと今は思います。

 

 

5、眼科の受診は大事

なら眼鏡を作る場合眼科は必要ないのかというと、そうではないと思います。むしろ私は絶対に眼科を受診するべきだと思います。

何故なら視力低下や見えにくさの原因には病気が影響している可能性もあり、その確認は眼科にしか出来ないからです。私のようにちょくちょく眼科に通院している人はいいですが、しばらく眼科に行っていない人は、まずは眼科に行ったほうがいいと思います。眼科は病気を発見し、治療するプロだからです。

そのうえで眼科で処方箋を作ってもらうのか、眼鏡屋に相談するか決めればいいのではないでしょうか。

 

 

6、諦めないで欲しい

私が今の眼鏡屋に出会えたのは、本当に偶然です。毎日見え方によるストレスを感じていて、ネットで「白内障 左右差」・「不同視 辛い」等のキーワードで色々なサイトを見ていた時のことです。その時ある眼鏡屋さんのホームページで、「眼鏡作りに苦労している人は多い、でも眼鏡作りに苦労している人の力になりたいと日々技術を磨いている眼鏡屋もいる」という旨の記事を見かけ、そのお店にコンタクトをとったことがきっかけでした。

 

見え方に苦労していない人にとっては、「眼鏡が作れなくて苦しい」という感覚はピンとこないでしょう。私も「他の人が苦労しないようなことで、自分はハンデを抱えているんだ」とネガティブになっていました。実際何件もの眼科や眼鏡屋で「あなたにはメガネは無理」と言われてきました。

ですが「今かけている眼鏡が、世界で一番自分に合っている眼鏡なのか?」という問いには、はっきりと「No」と答えることが出来ました。

 

また眼鏡作りに関しては、自分にピッタリなただ一つの眼鏡があるというよりも、「このラインならまぁ大きなストレスなくかけられる」という、ある程度幅のある合格ラインがあると考えた方が楽かもしれません。

眼鏡作りが難しい人にとっては、100%満足出来る眼鏡というのはやっぱり難しいですからね。それでも今苦しんでいる人にとって、80%満足出来る眼鏡を作ることが出来れば、人生がかなり変わるはずです。

 

 

7、眼鏡屋選びのポイント

私の経験から眼鏡作りに苦労している人にお伝え出来ることがあるとすれば、

  1. 眼鏡にはお金をかける価値がある
  2. 全国展開しているお店は避ける
  3. 眼科で普段検査をしているなら、眼鏡屋で直接眼鏡を作ってもらうのはアリ
  4. 「不同視」というキーワードで、検索結果に出てきた眼鏡屋を調べる

 

等でしょうか。眼鏡は実際にかけてみないとわからないものですが、眼鏡は決して安いものではありません。私もこれまで何度も眼鏡を作りましたが、次第に「次も上手くいかないんじゃないか」と思うようになりましたし、金銭的なこともあるので、次第に眼鏡作りが怖くなっていった経験があります。

そこで少し気になる眼鏡屋を見つけたら、作るかどうかは別として、一度自分が今困っている内容をメールで送ってみるのもいいかもしれません。

良心的な眼鏡屋さんであれば、返信を頂けるかもしれませんし、頂いた内容に期待出来る部分があれば、希望が見えるかもしれません。

世の中には眼鏡作りに困っている人も大勢いて、その人達の力になりたいと思ってくれている眼鏡屋も間違いなくありますから。

 

 

8、最後に

私にとって非常に関心のあるテーマだった為、少し長くなってしまいました。

私にとって眼鏡はファッションアイテムではなく、医療機器です。しかも人生の質に直結するレベルの医療機器だと思っています。

不同視の人は医師からコンタクトやレーシックを勧められることがあると思いますし、それも間違いではないと思います。

でも目は私達にとってとても大切なものであり、生きている限りずっと付き合っていくものです。今は良くても将来なんらかの問題が出てくる可能性だってあります。だからこそ目に影響を及ぼすものに関しては、慎重に考えた方がいいかもしれません。

 

最後になりますが今眼鏡作りに苦労している方へ。私が楽にかけられる眼鏡を作ってくれた眼鏡屋は、私が知っている眼科、私が知っている眼鏡屋以外、つまり今持っている選択肢の外にありました。

ご覧いただいた方が楽にかけられる眼鏡に出会えるよう、お祈りしています。

再び神経症の入り口に立った!

皆さんこんにちは、もち丸です。

今回は久々に神経症に対するかなり根本的な記事を書くことが出来ました。内容は発症当時を振り返ったものではなく、別記事で触れていた眼鏡作成をきっかけとして、最近「これが神経症の入り口か」と思うような状態に出会った時のものです。

この時これまでの神経症に対する経験と知識がなければ、引きずり込まれていたと思います。

それでは本文をご覧くださいませ。

 

 

 

1、きっかけは眼鏡作り

私はこのブログで眼鏡作りについての記事も書いています。そして今回のテーマである神経症の入り口」を感じたのは、新しい眼鏡をかけ始めてから1ヶ月程経った頃の話です。

 

今回作った眼鏡は今のところかなり調子が良いのですが、眼鏡が完成した後に1度フレームのフィッティング調整をしてもらったことがありました。そして調整後眼鏡をかけた時、こめかみに「グッと来る」感覚を感じるようになってしまいました。

ただ今ならわかるその原因はフィッティング調整が問題だったのではなく、レンズの中心以外で見たことが原因による違和感だったのです。(ここでは詳細は省きますが、レンズの中心以外で見ると、左右差の大きい人は違和感を感じやすいそうです)

今は当時より見方のコツがわかってきた為違和感も小さくなりましたが、左右差の大きい眼鏡は非常に繊細なもので、当時(1ヶ月程前のことですが)はそのことがわからず、また新しい眼鏡にも慣れていなかったのだと思います。

ただ左右差の大きい眼鏡やプリズム矯正が入った眼鏡は、人によっては違和感を感じやすいそうなので、完全に気にしすぎとは言えないかもしれませんが...

 

ただこのきっかけが神経症の入り口を見る、トリガーとなりました。

眼鏡屋さん曰く「0.5mm程の調整」だったのですが、当時の私はそのフィッティング調整が原因だと思い込んでしまった為、「こんな0.5mmの調整で影響が出るなんて、本当に眼鏡ってわずかな変化でも影響が出てしまうんだ」と思うようになりました。

 

 

2、段々眼鏡のフレームが気になるように

この眼鏡屋で眼鏡を作った際、レンズの中心が目の中心と一致するように、かなり高い精度でフィッティング調整を行ってくれました。

ただ上で述べたように、「0.5mmの調整でも影響が出る」と思うようになった私は、ちょっとしたことで眼鏡のフレームがわずかに歪み、その結果見え方に影響が出てしまうことを恐れるようになっていきました。

 

例えば「突っ伏して寝た時に腕がフレームに当たった時」、「手を上げた時に眼鏡のフレームに手がガチャッと当たった時」等です。そしてその度に「今フレームに手が当たって、少しフレーム歪んだんじゃないか」と心配するようになっていきました。

そして一旦気にし始めると、その後は見え方の違和感を強く感じるようになっていきました。

 

冷静に考えたら少し手が当たったくらいで、フレームが歪むというのは考えにくいですよね。それに毎回眼鏡の中心と目の中心がぴったり一致するわけでもありません。それでも一旦気にし始めると「他の人には影響がなくとも、不同視である自分にとってはほんの少しの歪みでも影響してしまうんじゃないか」と心配する考えが拭えなくなっていきました。

 

 

3、100%の安心を得る為に

そして「フレームが曲がったんじゃないか」と心配になる度に、「当たった時の状況を最初から思い出し、そんなに強く当たってないから大丈夫」と納得・安心する為の思考を繰り返すようになっていきました。

ですがその安心を得る為の思考で納得が出来なかった時、あるいはいったん納得出来た後でも時間が経った時、先程の思考によるやりくりを何度もやりたくなるのです。

「さっきは本当に軽く当たっただけだし、大丈夫」「少し熱くなっただけで曲がるなら、夏外に出ただけで曲がるはずだし大丈夫」等のように...

 

その時思考の粗が見つかると、「やっぱりああだったんじゃないか」と心配し始め、より強く納得する為に、何度も何度も思考によるやりくりをしたくなっていきました。

でもその時に気付いたのです。

「これは強迫観念と強迫行為そのものじゃないか」と。

 

 

4、踏みとどまることが出来た

本当に危ないところでした。

これは間違いなく神経症の入り口です。この時経験と知識が無い状態で、安心する為の思考のやりくりを続けていけば、恐らく神経症強迫性障害に突き進んでいたでしょう。

 

そして今神経症の入り口に立っている自分に気付いた時、私が高校生の時に神経症を発症した頃の記憶を思い出しました。そしてもう一つ思ったことは神経症の入り口だから気にしては駄目だ!」という禁止ではなく、「自分はずっと見え方に苦労してきたのだから、気にしてしまうのはしょうがない。でも昔はこうして深みにはまっていったんだな」という考えでした。

そしてそこには昔の自分を少し労わる気持ちもありました。そして「あ~、どうやら自分の性格的傾向は昔から変わってないんだなぁ。でもまぁいいか。昔と違ってそれに気付くことが出来たんだから」と、諦めと自信二つの気持ちが湧きました。

例え根っこの性格は変わってなくとも、散々苦しんだ経験から自分の現状に気付き、踏みとどまることが出来たのです。

 

 

5、経験と知識がなければ止まれない

このように私は改めて神経症の入り口を体感することとなりました。今回は自分で気付き踏みとどまることが出来ましたが、なんの経験も知識がない状態ならば、恐らく安心を得る為の思考のやりくりによる確認行為を、何度も繰り返していたでしょう。

 

私は17歳頃から10年以上神経症強迫性障害に苦しんできました。最初は自分がどういう状況にいて、何故苦しいのかを理解することも、人に説明することも出来ませんでした。ただカウンセリングやリワークプログラムに参加したり、精神医学の本を読む中で徐々に自分が何故苦しいのかを理解していき、そこから徐々に回復が始まっていったような気がします。

特にリワークプログラムでは「自分の症状のことを話す機会」、「人の症状を聞く機会」が何度もありました。そして何度も話すうちに、徐々に自分の状況を言葉にすることが出来るようになり、自分の症状を頭で理解出来るようになりました。

 

ただ当然のことながらほとんどの人が初めて神経症の入り口に立った時、神経症強迫性障害に関する知識を持っていません。その為「今自分がやっていること」がどのようなもので、どうすればいいのかは分かりません。その為初見殺しのようなもので、冷静に対処することは難しいと思います。

ですが今自分を振り返っても思うのですが、今神経症に苦しんでいる人にも、必ず神経症の入り口があり、そして神経症に引きずられていった経緯があるはずです。

もちろん入口で引き返せた人もいるでしょうが、私のように神経症に突き進んでいったら、回復にも時間がかかるかもしれません。

 

 

6、目に始まり、目に終わる

私は神経症発症時「眼鏡を作ったこと」片頭痛の前兆である閃輝暗点をきっかけにして、目のことが気になるようになり、神経症に突き進んでいってしまいました。

 

そして私は目が気になるという精神的な領域の問題が落ち着いた後は、不同視という身体的な問題に長く悩まされることになりました。そしてその後も片目が若年性白内障になったりと、私のこれまではずっと目に悩まされてきたように思います。

そして「眼鏡作り」で改めて目の問題に向き合ったことで、見え方に長年苦しんできたという問題に、ひとまずは落ち着きそうな気配が見えました。

まさに私のこれまでの苦労は、「目から始まって、目で終わる」といった感じです。それにしても時間かかりすぎだよなぁ。

 

 

7、最後に

今回思わぬ形で神経症の入り口を感じることになりました。

神経症の回復には人によって様々な段階を辿ると思いますが、共通して大事なことは「自分の状況を頭で理解する知的理解」だと思います。

もちろん頭では分かってもどうにもならないということは、神経症強迫性障害の辛さの一つです。

そして知的理解に加えて大事なことは、「あ~、これこれ」というような、実感を伴った「腑に落ちる」感覚だと思います。納得感とも言えますね。

 

神経症は人によって様々な発症理由があると思いますし、医師の中でも様々な理論が唱えられています。私達医療の素人にはどれが正しいのかはわかりません。

結局は自分が納得出来るかどうか、そしてそれによって少しでも楽になれるかどうかという部分が、とても大事なような気がします。

「あの病院のこの治療では治らなかったけど、別の病院では治った」という人もたくさんいるでしょうから。

 

今回はこれまで散々苦しんだ結果自分の血肉となった経験が、今の私を助けてくれたのだと思います。危ないところでしたが、不思議な経験となりました。

楽な見え方・眼鏡を求めて④ 「眼鏡を作ってから1ヶ月経った感想」

皆さんこんにちは、もち丸です。

最近テレビで高校野球地区予選や世界陸上をよく見ますが、やっぱりスポーツは最高ですね。全力を出したうえで相手に敬意をはらう態度には、とても清々しいものがあります。

コロナが落ち着いたら、私も思う存分スポーツを楽しみたいです。

 

今回「眼鏡を作ってから1ヶ月経った感想」を書きますが、ひとまず今回の記事で「楽な見え方・眼鏡を求めて」をテーマにした記事は一段落です。

また別記事で昔からの眼鏡作り全体を振り返っての記事を書くつもりですし、また眼鏡に関して気になる点も出てくると思いますが、一旦この記事を最後とします。

眼鏡作りに苦労している方は、どうぞ最後までご覧ください。

 

 

 

 

1、一か月経ってみて

結論から申し上げますと、いくつか気になることはあるものの、全体的に非常に満足です。

コンタクトを使わずにすむようになりましたし、肩こりも随分楽になりました。

長い期間眼鏡に苦労してきた私にとっては夢のようです。今回は遠用と近用、二つの眼鏡を作りましたが、そのメガネの左右矯正差は3.50です。一般的には左右差2.00を超えると不同視が起きやすいと言われているのですが、問題なくかけられています。

これまでいくつもの眼科、眼鏡屋で「あなたには眼鏡は無理」と言われてきましたので、「何が無理だ!作ってやったぜ!」という喜びがあります。

 

 

2、良かったこと

①肩こりが楽に

これははっきりと自覚出来た部分です。私は昔からかなりの肩こりがありました。

もちろん私の肩こりにはストレスや運動不足等様々な要因があったと思いますが、見え方の不具合から来ている部分は間違いなく大きかったので、そこが改善されたことは私にとって大きなポイントです。

 

②距離感がつかみやすくなった

これもはっきりと自覚出来た部分です。特に強く感じたのは運転時の、サイドミラーやカーブミラー確認時です。

私はこれまでカーブミラーやサイドミラーで周囲を確認するのが苦手でした。この話は不同視ではない人には伝わりにくいと思うのですが、ミラーを見た時に車は見えても、それがどのくらいの距離にあるのかという実感を掴むのが苦手でした。

実際不同視の人の中には球技や運転が苦手な方も多いそうで、私も合流や車線変更に苦手意識を強く持っている為、かなり慎重に運転していました。

それが眼鏡を新しくしてから、距離感がはっきりとわかるようになったんです。ミラーに見えたままそこにあるのがわかるという感じです。おかげで車の運転がかなり楽になりました。

 

③仮眠が取れる

今までは日中はコンタクトをしていた為仮眠が出来ず、どうしても仮眠を取りたいときはコンタクトを一旦外していました。

それが今は少し仮眠をとりたいときは、眼鏡をちょっと外すだけで仮眠をとれるのです。普通の人にとっては当たり前のことですが、私にとってはとてもありがたいです。「なんて楽なんだ」と感動すらしました。

 

④コンタクトが不要に

一番大きいのは出掛ける前の準備が相当楽になったことです。今までは短時間の外出時にもコンタクトを着けていた為、「パッと出掛ける」ことが出来ませんでした。しかも私は結構心配性なので、コンタクト装着前に手を洗う時、わずかな繊維質もつかないようかなり神経質になっていました。正直かなり疲れます。

また私は少しでも目を大事にしたいと、高酸素透過タイプのワンデーを使っていたのですが、少しでも目に違和感を感じるたびに心配になり、眼科を受診していました。

 

ところがコンタクトを使わないで済むようになった為、目にいっていた神経をだいぶ緩ませることが出来ました。しかもコンタクト購入の為の受診費用・購入費用が不要になった為、眼鏡を買ったとは言え相対的にもそこまでの出費にはなりません。

おまけに例え寝起きでも眼鏡をかけるだけで、すぐに動けるようになりました。

 

 

3、気になったこと

①眼鏡の使い方に注意が必要

今回初めて知ったことですが、レンズというのは中心部から離れたところで見る程、プリズム誤差(視線のズレ)が生じるそうです。今回作った眼鏡はプリズム矯正を入れてはいるものの、私のように左右矯正差が大きい眼鏡では、レンズ中心から離れたところで見ると、こめかみに「クッと」と来る感じがあります。

その為視線を動かして見るのではなく、なるべく顔ごと動かしてレンズの中心で見るようアドバイスをもらいました。

私にとって眼鏡を作れたという時点で大満足なのですが、この点はやや気になりますね。ただこれは眼鏡の特性上仕方のないことですし、次第に慣れていきそうなので、許容範囲かなと思っています。

 

②小さいことが気になるように

眼鏡を作って1週間経った頃、眼鏡のかかり具合が気になり、一度お店に出向いてフィッティング調整をしてもらいました。ただ調整とはいえ、0.5mm程のフレーム調整です。

ですが調整したもらった後頭痛がするようになり、「もしかしていじったことで、見え方に影響が出たんじゃないか」と不安になってしまいました。その後も眼鏡がちょっとものにぶつかったりすると、「あれだけ微妙な調整で変わるなら、今の衝撃でフレームが少し曲がったんじゃないか」と、ちょっとしたことで心配になるようになりました。

 

その後色々と煮詰まってしまったので、もう一度再調整してもらいました。

眼鏡屋のご主人曰く「毎回眼鏡のかかる位置は微妙に違うので、不同視の人やプリズムレンズを使っている人の中には、かかり具合から来る微妙な差を感じる人もいるようですよ」との言葉をもらいました。

それと「もしかしたら今回フレーム調整をしたことで、「いじったから大丈夫かな」と気になっているのかもしれませんね」とも言ってくれました。

 

やはりしっかりと説明してもらうことで安心しますし、納得して眼鏡をかけられるようになりますね。

その後も何回か同じような状況になったのですが、次第にこの眼鏡の見方にも慣れてきたのか、次第にその不快感・違和感は小さくなってきました。

 

 

4、頼りになる眼鏡屋さん

私は元々小さいことが気になる性格なことに加え、眼鏡作りに敏感になっています。その為疑問や不安に思った事を、直接あるいはメールで全て質問しました。

私は正直「こんなに何度も聞いて迷惑じゃないかな、変な人って思われないかな」と心配しましたが、「しっかりと納得出来る眼鏡にしたい」という思いの方が強かった為、心配しつつも何度も相談しました。

 

ちなみにその眼鏡屋はご主人と奥様二人のお店で、ご主人は眼鏡作りに物凄い時間と労力をかける眼鏡職人といった印象です。その為お店には眼鏡作りに苦労している人が県外からも来るそうです。

私が眼鏡を作る際にも単純な技術的な話にとどまらず、私が感じているストレスや苦悩にも耳を傾けてくれ、こちらの不安点を丁寧に取り除いてくれました。

ご主人も奥様も嫌な顔一つせず、「またいつでも相談してくださいね」と言ってくれました。その時の私の安堵感はとても言葉で言い表せるものではありません。

 

これからも加齢や状況の変化に伴って、また気になることがたくさん出てくると思います。それでもここに相談すれば、何とかしてくれるだろうと思わせてくれる眼鏡屋です。でも贅沢を言えばもっと早くここに相談すればよかったなという後悔もありますね(笑)。

 

 

5、人生が変わるかもしれない

今回の眼鏡作りは、間違いなく私の人生に影響します。これは私にとってそれほどのことなのです。

 

私は17歳の時に初めて眼鏡を作り、18歳の時に神経症になりました。そして私が神経症の深みにはまっていったのは、目に関して気になることが多かったからです。その一つに「なんか見え方がおかしい」というのがありました。なんだか自分の目で見ている実感が無いような、距離感がおかしいような感覚です。

そして6年ほど前片目が若年性白内障になり、手術で人工レンズにしてから、この違和感と苦痛がどんどん大きくなっていきました。

ですがそれは私がおかしいのではなく、見え方の不具合が原因だったのです。

今思えば一番最初に作った眼鏡も左右差は2.00、つまり随分前から左右差が大きい眼鏡をかけていたのです。

「やっぱり気のせいなんかじゃない。自分がおかしい訳じゃなかったんだ、見え方がおかしいから当然だったんだ」とようやく腑に落ちた気分です。

 

自分に合わない眼鏡をかけている状態は、単純に見えにくいだけでなく、肩こり、頭痛、めまい、耳鳴り等、様々な症状が出る可能性があります。今まで私が感じてきた症状は全て眼鏡が原因というわけではないでしょうが、見え方の不具合から来ている部分も多分にあったのだと思います。

今はありがたいことに、事務作業やPC作業を長時間しても以前より疲れなくなりました。昼寝も出来るしマラソンも怖くありません。

本当に夢のようです。私には他にも解決しなければならない問題がたくさんありますが、これで私が長年抱えていた悩みの一つが解決しそうです。

 

 

6、最後に

今回の眼鏡作りの一連のお話は、とりあえず一段落です。

また別記事でこれまでの眼鏡作りに苦労してきた話をまとめ、今眼鏡作りに苦労している人に伝えられたらなと思っています。

苦節20年、あまりにも時間がかかり過ぎましたよ。でもこれからも「あれが気になる!」とか、「老眼が始まった!」とか大騒ぎするんだろうなとも思います。(笑)

 

最後にお世話になった眼鏡屋さんに、心から感謝致します。

「本当にありがとうございました!あなたは私の恩人です。これからもどうぞよろしくお願いします。」

先に進む為にこそ自分に許可を

皆さんこんにちは。もち丸です。

前回、前々回の記事で、眼鏡作成についての記事を書きました。

今回はその過程で思った事、そして改めて自分が子供の頃に感じていたことを思い出し、それらが自分にどのような影響を与えていたかを振り返ってみることにしました。

 

 

 

1、開くことこそ最初に必要

これまでの記事で書いたように、私にとって眼鏡作りというのは、とても大きな出来事です。

 

私は眼鏡作りが上手くいけば、「~してみよう」と思っていることがたくさんあります。そしてそのような希望を持った時、久しぶりに体が軽く、心が広がったような気分になりました。

そして思ったのです。「今やらなければならないことをやるのは、言うまでもなく必要で大切なことだ。でも心が閉じた状態で「やらなければ、やらなければ」と焦っても、ほとんどのものは心に入ってこないで、閉じた扉に弾かれてしまう」と。

そしてその改善の為には、「まだ自分はそれをやる資格がないと思ってしまうけど、やってみてもいいんだ」と、自分に許可を出せることが大事なような気がします。

 

 

2、罪悪感があるからこそ心を開く

私は「自分は~が出来ていない。だからこれをやるのは、~が出来てからだ」とずっと思ってきました。

ただそのように自分に許可を与えられていない状態では、例え良いモノに出会えたとしても、こちらの受け入れ準備が出来ていない為、そもそも自分の心に入ってきてくれません。良い出会いに恵まれたとしても、拒絶してしまうのです。

 

だからこそ、「今自分は何も出来ていない、罪悪感がある」と思っているからこそ、次のステップに向かう為に、心を開くことが大事なのだと思います。

その為にはわざとらしい許可でもいいから、「自分が少し興味があったもの」「心に引っかかったもの」を、無理のない範囲で自分に与える許可を出してあげることが、大事なような気がします。

とは言え私も口で言うのは簡単ですが、実行するのは結構難しいと感じます(笑)。

でもそうしないと「今の状況が苦しくて、なんとかしたい。でも動くのが怖い、自信が無い」と、決して快適じゃない今の状況にしがみつくことになってしまいます。自分ではどうにかしたいと思っているのに、今いる状況から一歩も動けない。

そんな時だからこそ自分に許可を与えてあげる。それは自分を甘やかしているのではなく、次のステップに進む為に必要なことなのかもしれないと私は思います。

 

 

3、私が自分に許したこと

この章では自分に許可を与える練習として、私が買ったものをいくつか挙げてみます。本当に小さいことなので、どうか笑わないでくださいね(笑)。

 

まず買い物の共通点として、家族の目につきにくい、比較的小さい物がおすすめです。特にリュックに入る大きさのものは、帰宅時に手提げ袋を見られずに済むのでおすすめです。私の場合は結構無理やりにリュックに押し込んで帰っていました。(笑)

 

ニンテンドースイッチライト

元々「就職が決まったら買おう」とずっと思っていましたが、コロナが始まった年のゴールデンウィーク前に買いました。

当時は緊急事態宣言が出ていて、唯一の気分転換であるバドミントンも出来なくなり、ストレスマックスの時期でした。そこで「ゴールデンウィークもどうせどこにも行けないし、少し位自分が欲しいものを買ってもいいんじゃないか」と思ったのです。

 

他の記事でも紹介しましたが、当時の私はどうしようもない閉塞感を感じていました。その為何か解放感を感じることの出来るゲームがないかなと思っていたところ、「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」を見つけたのです。

そして「ニンテンドースイッチライトなら、部屋でこっそりと出来るな」という、邪な気持ちで携帯型を選びました。

ちなみにこれもリュックにギリギリ入ります(笑)。

 

②漫画

これもおすすめですね。なんといっても罪悪感が薄い!(笑)

まだ調子が今一つの方にもおすすめです。小説等の字が主体の本は、体調が悪い時は中々集中して読めないかもしれません。ですが漫画ならさらっと読むことが出来ますよ。

 

③アロマディフューザー

私はホームセンターやアロマショップで、自分の好みの香りを探すのが好きです。

特にホームセンターはアロマ専門店等と違って店員さんが話しかけてこないので、人目が気になる人にもおすすめです。

 

私は香りを感じると「田舎に帰った時のばあちゃんの家の匂いだ」、「昔小学校で感じた匂いだ」等、当時の記憶とその時の感覚がリアルに思い出されます。それがなんとも懐かしくホッとします。

特に私が好きな香りは「ヒバ」や「ヒノキ」等木の香りです。特にヒバの香りは雨が降った後の土や木の匂いがして、とても落ち着きます。

アロマオイルはディフューザーを使わなくても、小瓶のまま香りを嗅いだり、ティッシュに数滴垂らして置いておくだけでも充分楽しめます。

 

 

4、自信の無さはどこから来たのか?

私はこれまでずっと自分の行動力や決断力に自信がありませんでした。その原因はいくつか思い当たりますが、その一つに親の影響があると思っています。

ただそれはあくまで原因の一つであり、自分にも問題があったということはしっかりと認識しているという前提で話をしていきます。

 

私は昔親、特に母親のことが怖かったです。そして私は昔から何かするのに親の許可を強く必要としていたような気がします。

例えば服を買う時に、私が「これがいい」と言い、それに対して母が「こっちの方がいいよ」と言ったとします。そうすると「でも…」といった具合に私は納得はしないものの、「絶対こっちがいい」とは言い切れませんでした。それは例え自分が好きなものを買ったとしても、その後しばらく家の空気が悪くなることの方が辛かったからです。

 

もう一つ例を挙げますと、例えば「5時に帰ってきなさい」と言われると、5時を1分でも過ぎると、ドアにカギをかけられます。その為私は友達と遊んでいても、5時が近くなるとそわそわし始め、5時までに帰ることが最優先事項となります。また少しでもご飯を残すと、それをいきなり流し台に捨てられ、「もう食べなくていいい!」と空気が悪くなることもありました。

子供の私にとっては、それは恐怖そのものです。

そして「自分の行動や言動がきっかけで、家の空気が悪くなるくらいなら、自分の気持ちをそっと飲み込み、母の望む行動を自分がとれば居心地よく過ごせる」。そんなことを思うようになっていったと思います。

加えて高校生の時に神経症になったことで、ますます自分の力を信じられなくなってきました。

 

つまり私は自分の考えを基に行動し、その結果得られた成功体験が少ないのだと思います。

だからこそ「自分が決めた答えは本当に正しいのか?」、「みんなが普通にやっていることが何故自分に出来ないのだろう」。そんな風に思ってしまうのです。

 

 

5、自分が決めて行動すると上手くいくのかもしれない

そんな私ですがこのブログで書いてきたように、小さな決断や自分を大切にすることが大事なことに少しずつ気付き始めました。

そして小さくとも自分が考えた行動をとり、それが結果に繋がることで、わずかではあっても今の行き詰った現状に、良い変化が出ることがありました。

そして自分の考えは未熟で結果には繋がっていないかもしれないが、少なくとも「間違っていないのではないか」と思う事が出てきました。

そうすると「ひょっとして自分がやると決めた行動は、自分を良い方向に変えてくれるのではないか。自分で決めた方が上手くいくのではないか」と思うことが少しずつ出てきたのです。

このようなことについて触れている本はたくさんありますし、「今更何を当たり前のことを」と思われるかもしれません。でも私にとっては新鮮で、希望なのです。

 

冒頭で触れた「眼鏡作り」も自分が探し、自分で決めた行動です。これがどのような結果になるかはまだわかりませんが、上手くいけば自分にとって大きな自信になる気がします。

 

 

6、人は元々力を持っている...?

もしかしたら人は元々自分で動いていける力を持っているのかもしれません。それが親や友人等の人間関係の中で自信をなくしたり、挫折や病気等の困難にあったことで、「自分には無理だ」「次も上手くいかない」といった思いを繰り返し自分に刻んでいく。そして自分に自信を無くし、行動や思考、ひいては人生に対する態度が変わっていくのかもしれません。

 

とはいえ沁みついてきた思考は、簡単には変えられません。

ひょっとしたらもう遅いのかもしれない、また心折られて更に自信を無くすかもしれない。それでもしっかりと振り返り、向き合い、そのうえで新たな自分の考えを上書きしていく。その上書きの回数が多くなれば多くなるほど、思考も変わっていくのではないでしょうか。

 

私の神経症を振り返ってみても、長い間神経症に苦しんだことで、もう元の自分に戻れないと思っていましたが、神経症になる前の自分、そしてその頃の感覚も無くなってはいませんでした。

それならば「自信を失っていない自分」、「自分で決める力のある自分」も、無くなっておらずに自分の中にいるのかもしれません。

 

もちろん私も「決断力は最初から完成しているものではなく、決断を重ねることで培っていくもの」だというのはわかっています。それでも小さい頃は失敗を恐れず、色々なものを口に入れたり、親が目を離した隙に、自分の足であちこち動き回っていたはずです。

そんな風に元々自分の心のままに動く力を、私達の誰もが持っている。大げさかもしれませんが、そんなことを思いました。

楽な見え方・眼鏡を求めて③ 「いざ眼鏡屋に!」

皆さんこんにちは。もち丸です。

今回は以前書いた記事の続き、「楽な見え方・眼鏡を求めて」の第3回目です。

 

前回は眼鏡屋に予約を入れたというところまでを書きましたが、今回は実際に眼鏡屋で眼鏡を作成した時の感想を書いていきたいと思います。

ただ眼鏡というのは毎日使うことで評価が出来るものですから、しばらく使ってみての感想は、また後日まとめるつもりです。

それではどうぞ~。

 

 

 

1、初めての処方箋無し!

私は今回初めて眼科処方箋無しで眼鏡を作ります。

私はアレルギーや白内障手術の定期健診等、こまめに眼科に通います。その為私の目のデータの変遷は全て眼科にある為、私にとって一番良い眼鏡を作ってくれると思っていました。

また一口に「見えにくい」と言っても原因は様々で、その原因が病気から来ている可能性もありますから、普段眼科にあまり行かない人にとっては、眼鏡を作る前に眼科に行くのはとても大切なことだと思います。

 

ただ私は上述のように定期的に眼科に通院していて、病気が無いことはわかっています。そして実際に不同視や白内障手術等の影響があっても眼鏡屋に相談し、快適な眼鏡を作ることが出来たという話も何度も聞いていた為、「それなら一度眼鏡屋で直接作ってもらうか」と思ったのです。

 

 

2、いざ眼鏡屋へ!

まずファーストステップとして、眼鏡屋さんに今の自分の状態をまとめたメールを送りました。かなり熟考しコンパクトにまとめたつもりですが、かなり長くなってしまいましたね(笑)。

メールには「自分は長年神経症により、目に神経質だったこと。そしてそれに伴う様々な自律神経症状があった為、自分がどのくらいの左右差に耐えられるのか、また見え方が自分の健康にどの程度影響があったのかがわからない」ということまで書きました。

 

そして私の理想は眼鏡をいくつ使い分けてもいいので、コンタクト無しで生活することが出来れば最高だということを書き、いざ送信。

すると丁寧な返信メールを頂き、私のような悩みを抱えている人はたくさんいること。そして大切なことは単純な視力差だけでなく、視線等様々な要素を上手く調整することだということ。それにより眼鏡を作成出来たケースはたくさんあるという言葉を頂き、諦めていた眼鏡に希望が少し出てきました。

 

また眼鏡作成は転職してからの方がいいかという心配には、「まずは今快適に使える眼鏡を作ってみて、今後必要であればその時にまた眼鏡を作るのをお勧めします」とのことでした。

私は直感で「一度相談してみたい」と思い、早速一週間後に予約を入れました。

その眼鏡屋は自宅から1時間半程かかるのですが、今より楽な眼鏡を作れるなら1時間半等大した問題ではありません。そして期待と不安を持ちながら、予約日を待ちました。

 

 

3、初めての検査ばかり!

さて待ちに待った予約日です。朝一番にお店を訪れ、緊張しながらお店に入ります。

まず検査をする前に店長さんと色々な話をしましたが、予め詳細なメールを送っていた為、話はスムーズに進みました。

 

そして眼鏡作成の為の検査が始まりましたが、その内容に驚きました。眼科では受けたことが無い初めての検査ばかりなのです。「えっ、そんなことまで調べるんだ」というレベルの検査で、驚きの連続でした。そして1時間半ほどかけて、私の目の状態を丁寧に調べてくれました。

また一つ一つの検査について丁寧な説明も頂きました。私は気になることは全て聞いておきたい質なので、店長さんを質問攻めにしましたが、店長さんは嫌な顔をせず「時間はたっぷりあるので、何でも聞いてください」と言っていただき、店長さんが救いの神に見えました。

 

 

4、希望が見えてきた

そして一通りの検査が終了したところで検査結果を伺いました。

結論から言うと、眼鏡で調整が出来そうだとのことでした。どうやら不同視の人にとって眼鏡作りが難しい理由は、単純な左右矯正差だけではなく、「視線の調整」や「乱視の程度」、更には「目からレンズまでの距離」、「適切なフレーム選び」等、様々な要素が影響するようです。

私は確かに強めの不同視で、片目が人工レンズ等の影響はあるものの、乱視の向き等の様々な要素がそこまでマイナスに働かないこと、そして昔から左右差が大きかったことが功を奏し、ある程度の左右差にも対応しやすい目であることがわかったのです。

私は生まれて初めて自分の目に感謝しましたね(笑)。

 

一般的な不同視のラインと言われる、左右矯正差「2.00」の壁。その数値は個人差が大きいそうですが、調整が上手く出来れば左右差がかなり大きい人でも眼鏡を作れる可能性があるとのことでした。

現在の私がかけている眼鏡は右目が強度近視、左目が人工レンズということで、右目で近くを、左目で遠くを見るという、いわゆるモノヴィジョンを狙ったメガネです。というより不同視のラインである矯正差「2.00」以内で抑えようとすると、そうならざるを得ないとも言えますが。

ただ今回は右目をより強く矯正することで(左右矯正差は広がりますが)、左右の視力差のバランスを整え、さらに上下プリズム誤差等を細かく調整することで、以前よりも格段に楽にかけられる眼鏡になりそうとのことでした。

そして左目はピント調節機能が無い為、遠く用と、中近用の眼鏡の二つを使い分けることで、更に楽に見ることが出来るのではないかという提案を受けました。

 

私としては現時点でもコンタクトの上から三つの眼鏡を使い分けていたので、これが本当にうまくいけば嬉しいどころの話じゃありません。これまで何度も「もっと目に関して楽になりますように」と神社で祈ってきた程ですからね。

 

 

5、テスト用の眼鏡をかけてみて

そして数多くの検査の結果、テスト用の眼鏡が完成しました。ドキドキしながらかけてみると、しっかりと見えるのです。しかも新しい眼鏡をかけた時特有の違和感は小さく、かけ心地がかなり自然な感じです。

そして店内・店外を歩いてみても、距離感もよくわかる感じがします。眼鏡は毎日かけることで実際の使い心地がわかるものではありますが、コンタクトを使った時よりも自然な感じがするのです。

 

この時私は正に「信じられない!」という気持ちでした。

コンタクトを使って何とかやってきた私が、コンタクト無しでこの見え方が出来ているわけですから。

でもこれまでも眼鏡を作るたびに期待を裏切られてきましたから、大きな希望を持つと同時に、「あまり期待しすぎるのはやめておこう」とも思ってしまいました。

 

 

6、フレーム・レンズ選び

このフレーム選びの段階まで来ると、私はこの店長さんのことを信頼し始めていました。「この人の言うことなら、大丈夫だろう」って感じです。

 

さてレンズに関してはブルーライトカットをいれました。

ただブルーライトカットレンズは、通常のレンズと比べると透明度は若干落ちてしまいます。ただ昔使っていたカット率が高いレンズは若干視界が黄色がかっているのに対し、今回のレンズはかなり自然な色合いです。それに私はそこまで厳密に色を認識しなければならない仕事に就く予定もない為、目の保護の為にも入れることにしました。

 

またフレーム選びに関しても、不同視の人に適したフレームがあるそうで、これまでデザイン重視で選んできた私にとっては、目から鱗でした。

レンズは中心から遠くなるほど、視線の調整が難しくなるとのことで、今までよりも小さいフレームを選びました。その結果レンズが小さくなることで、値段の高い薄型レンズにしなくてもよくなり、価格を抑えることが出来たのは嬉しい誤算でした。

 

 

7、後は完成を待つだけ!

今回私は上述の通り、中近用遠く用の2種類の眼鏡を作りました。

私は運転時にはかなり遠くまではっきりと見たい為、「運転の時もこれでいいのかな?」と少し不安に思いましたが、店長さんも「今回作った眼鏡はこれまでより両目でバランスよく見ることが出来ますし、いきなり3本作るのも大変ですから、まずは2本で様子見してもいいかもしれませんね」と言ってくれました。

確かにテスト装用では良さそうな感触でしたが、これまでとは違うタイプの眼鏡なので、焦らない方がいいかもしれないと思いました。

そして「これで長年の苦労が解決するかもしれない!」という期待を胸に、帰路に就きました。

 

自宅に着いてからPC作業の為にコンタクトを入れたのですが、もうストレスに感じて仕方ないんですよ。コンタクト無しで更に楽に見える可能性を知った後ですから。

「あー、早く眼鏡出来ないかなぁ。でも上手くいったら、ますます先に進まないといけないな」という、情けない気持ちも少し頭をよぎりました。(笑)

 

 

8、最後に

今回店長さんに色々な話を伺いましたが、自分に合う眼鏡がなかなか作れないという人は結構多いそうです。また私のように片目が若年性白内障、片目が強度近視という人も一定数いるらしく、「自分だけじゃなかったんだ」という安堵もありました。

 

今後しばらくかけてみての感想を記事にまとめるつもりですが、これが上手くいけば私の長年悩まされてきた悩みの一つが改善されます。

正直期待と共に不安も大きいですが、これがうまくいけば本当に私の人生が変わる。それくらいのことなんです。

 

元々私の神経症は目が気になるというところから始まりました。そして長年目に悩まされてきて、神経症が治った後も違う形での目の悩みを抱えることになりました。私のこれまでは長らく目に悩まされてきましたが、その一つが決着する可能性があります。

今まで苦しい思いをしてきましたが、自分の問題を解決してくれる存在は、今の自分が持っている選択肢の外にあるかもしれませんね。

楽な見え方・眼鏡を求めて② 「眼鏡屋に行く決心」

皆さんこんにちは。もち丸です。

5月になりようやく花粉も落ち着いたとのニュースがありました。にもかかわらず私の花粉症は何故か終わりません。まぁアレルギー持ちの人は大抵が複数のアレルゲンがあるので、私自身年中かゆいと言えばかゆいのですが...(泣)

 

さて今回は久々に「見え方・眼鏡」についての記事です。

1回目の記事を書いたのは随分前なのですが、中々次のアクションが出来ずにいた為、ずいぶん間が空いてしまいました。

ですが今回久々に進展があったので、2回位くらいにわけてまとめていきたいと思います。

 

 

 

1、状況は一向に落ち着かず

今私は家族の看護や自身の転職、そしてコロナ等、色々なことが落ち着かない状態です。以前見え方に関する記事を書いた時は、色々と落ち着いたら気になる眼鏡屋に相談に行こうと思っていました。

ところが母は緩和ケアに入ってしまいましたし、転職も未だ決まらず、更にコロナも収束にはまだ時間がかかりそうです。

 

私が眼鏡作りや見え方に苦労している話は、以前の記事で書きました。

yoneson.hatenablog.com

 

この話は特に見え方に苦労していない人にとっては、あまりピンとはこないかもしれません。

ですが私は「不同視」+「強度近視」+「片目人工レンズ」と問題要素が多い上、これまで眼科や眼鏡屋で相談しても、「あなたの目じゃ眼鏡は難しい」、「もう片方の目を手術するまで付き合っていくしかない」と言われ、軽く絶望しています。

でも事態が落ち着くのを待っていると、時間ばかりが過ぎてしまうと焦っていました。

 

 

2、コンタクトもストレス

私は現在コンタクトと眼鏡を併用することで、何とか生活が出来ています。ただ私にとって、コンタクトを使うのも結構ストレスなんです。

 

まずストレスの一つにアレルギーがあります。

私は元々アレルギー体質であり、様々な花粉やハウスダストに反応します。また冒頭でも少し述べましたが、私も複数のアレルゲンがあり、ハウスダストにも反応性が高いらしいのです。その為年中かゆいと言えばかゆいですね(泣笑)。

特に花粉が酷い時期にはコンタクトを使用すると目がゴロゴロするのですが、コンタクトを使わないと日中作業にならないので辛いところです。

 

そして次に気になることが、仮眠がとれないことです。

コンタクトを入れている間は、仮眠は推奨されません。その為一度コンタクトを入れると、作業の合間にちょっとお昼寝というのが出来ません。

またちょこっと車を運転する時も、その短時間の為にコンタクトを入れる必要がある為、それも不便と言えば不便です。

 

 

3、自分より大変な人がいるのもわかる

私も頭では「自分はまだコンタクトを使えば見えるから幸せなほうだ」と思います。でも本音を言うと、やっぱりコンタクト無しで生活したいです。目に苦労していない人が羨ましいと思ってしまいます。

そして今後老眼が始まれば、今ピント調節機能が残っている右目も頼りに出来なくなります。

私は神経症により、長年「目」に苦労してましたので、「神経症が治った後も、しかもこれから先ずっと目に苦労しなければならないのか」と思ってしまいます。

 

そして私よりもっと大変な状況にあっても、今ある自分を活かしながら精一杯生きている人達がいるのも知っています。そしてそのような人達を尊敬するとともに、口ではあれこれ言ってもまだ何も出来てない自分を情けなく思います。

 

 

4、同じ苦労をしている人がいた

ただ不同視や白内障手術について調べるうちに、私と同じような苦労をしている人が一定数いることがわかりました。そして状況が苦しいだけでなく、人に苦しさが理解されにくいという話も聞きました。

その人達の言葉を見ていると、「自分が今思うように動けていないことは事実だとしても、自分の苦しみを過小評価しなくてもいいんじゃないか」と思い始めました。

そして私と似た状況の人でも、自分に合う眼鏡と出会ったことで、快適に生活出来るようになった話も聞きました。その為「いつか落ち着いたら」ではなく、もう「今」行ってみようとも思い始めたのです。

 

 

5、眼鏡作りが怖い

私はこれまで10本近くの眼鏡を作ってきました。ですがいずれもしっくりと来る眼鏡にはならないのです。

新しい眼鏡を作るたび、「今度こそ!」と期待するのですが、その度に上手くいかず落ち込むということを繰り返してきました。その為「また今度の眼鏡も上手くいかなかったらどうしよう」と、眼鏡作りが少し怖くなっているのです。

また眼鏡をしっかりとしたお店で作ろうとすると、やはりそこその値段になります。その為気軽に作るのが難しいというのも、眼鏡作りが怖い一因になっています。

 

また私は現時点で仕事が決まっていません。普通の人ならそこまで気にしなくてもいいのですが、私は作業距離によって眼鏡を使い分ける為、仕事が決まって「手元~cmで作業をすることが多い」というのがわかってから、眼鏡を作成した方がいいのかとも悩んでいました。

 

転職活動に関しても以前は事務系で終日PCを使っていましたが、そもそも「自分の目は事務職に向いていないのではないか」と思う事があります。その為私にとって見え方の調整は、仕事選びにも影響するのかなと思っています。

そのような状況が重なったことで、「アクセルを踏みたい」、「でもそれ以上にブレーキを踏んでしまう」という、地獄の板挟み状態になってしまったのです。

 

 

6、行動した結果出会えた希望

ただ「今自分がかけている眼鏡が、世界で一番今の私に合っているか」と自問自答すると、答えは否です。それだけは自信を持って言えます。

その為もし今の事態を少しでも改善出来るならばと、気になる眼鏡屋さんに今の自分の状況をメールにて送ってみました。そして頂いた返信メール内容は、今の私の苦労を理解してもらえたような内容でした。

どうやら私のような苦労をしている人を何人も見てきたそうで、詳しくは検査をしてからではあるものの、私よりも左右差が大きい人でも眼鏡を作れたケースも多数あるようです。

 

それを聞いて諦めかけていた私に、希望が少し出てきました。

「自分にはもう楽な見え方は無理なんだ。これからも他の人が苦労しないで済むことで、ずっと苦労しなければならないんだ」とずっと思ってきましたから。

このアクションがどのような結果になるかは、まだわかりません。また駄目だったと心折られる結果になるかもしれません。それでももし、コンタクト無しで生活出来るようになったとしたら、私にとっては本当に最高の想いです。以前ブログで述べた、正に踏ん張れる足場を手にすることが出来るという想いです。

yoneson.hatenablog.com

 

 

7、最後に

今回の記事では眼鏡屋に行くまでの話をまとめました。このブログを書いている時点では、実際に眼鏡屋に行き、現在眼鏡完成を待っているという状況です。

次回の記事で実際に眼鏡を作成した時の感想をまとめるつもりなので、もし今不同視で苦労している方がいたら、よろしければ次回の記事も是非ご覧ください。

先に進む為には足場が必要

皆さんこんにちは。もち丸です。

この記事を書いているのは3月終わりなのですが、桜があちこちで咲き始めています。まだ寒い日はあるものの、空気が冬の頃とは明らかに違います。

なんだか季節が変わっていくのが、嬉しいような怖いような気がする今日この頃です。

 

さて今日は「人が踏ん張る為には足場が必要だ」というテーマについて、記事を書きたいと思います。

最近は忙しい&精神的にキツイ毎日ですが、今のところ何とか前向きに行動出来ています。「俺は精神的に強くないのに、なんで動けるんだろう」と思ったことをきっかけに書いてみました。

 

 

 

1、何故か調子は悪くない

私は現在相変わらず転職活動(どれだけ長いんだ)をしながら、母の看護をしています。

現在は緩和ケアを受けていて、今はなんとか普通に生活出来ていますが、今後は様々なサポートが必要になる可能性があります。(それでもまだ奇跡は起きて欲しい。神様お願いしますよ!)

その為介護保険申請や各種準備等、初めてやることが多くて大変です。

 

また母も母で色々なことを考えているのでしょう。家の物を整理したり、自分の葬式のことを考え始めたりしていて、それを見ていると本当にキツイです。これマジで胃が痛いですよ。もう自分が死ぬことを前提に、話をしたり物事を進めていくのですから。

 

にもかかわらず、最近の私の調子はまずまずなんです。以前強迫性障害に苦しんでいた時や、前職退職時よりも確実に体調は良く、少し不思議な感じがしています。

それには色々な要素が影響しているとは思います。漢方、精神腫瘍科、がん患者交流サイトの活用...

そのどれもが大切な緩衝要素となっていると思いますが、個人的には漢方の存在は大きいような気がします。

ただ当然のことながら漢方は、今の私の状況を直接改善してくれるわけではありません。その為現時点で苦痛を0にすることは、やはり難しいと思っています。

そして苦痛を0にすることの出来ない理由の中に、私の眼鏡(見え方)の問題もあります。

 

 

2、なんで自分だけが

以前別記事で私は不同視の影響で、見え方の調整が難しいことを述べました。

yoneson.hatenablog.com

 

私は「メガネを作るという誰もが普通にやっていることに、なんで自分は苦労しないといけないんだ」という不満や怒りを、ずっと感じてきました。

ただ最近は

  • 「あの眼鏡屋ならもう少し楽なメガネを作ってくれるんじゃないか」
  • 「このメガネが日本で一番いい眼鏡かって言うと、違うよなぁ」

といった具合に、より上手くいく方法が、今の自分の行動範囲の外にあるんじゃないかと思うことがちょこちょことあります。

これは2021年、2022年のパラリンピックを見たことも影響しているかもしれません。

 

私はパラリンピアンを見て、「選手達も競技に打ち込むことが出来るようになるまでに、他の健康な人達のことを羨んだり憎んだり、過去や親、自分をこのような状況に追いやったものや運命を憎んだのではないか」と、勝手に想像しました。

 

「失くしたものではなく今あるものを使ってどうするのか」。そのことは私も知的理解は出来ますし、ある種究極の真実なのかもしれません。

でも辛い時にそのような正論を聞いて、受け入れようとすることはとても難しい。場合によってはまるで暴力のようにすら聞こえます。そして器の小さい私は以下のようなことを思ってしまいます。

 

  • 「そんなのわかってるよ!でも簡単になれるか!」
  • 「他の人は苦労しないで普通に出来るのに。なんで俺はそんなことに苦労しないといけないんだ!」
  • 「もうこの時点でハンデだ!なんでこうなったんだ!もう取返しがつかないぞ」
  • 「これからずっとこれで生きていかないといけないのかよ」
  • 「俺がどれだけ大変かを分かって欲しい。凄い大変なんだ!皆ずるい!」

 

 

3、真の平等なんてありえない...けど

私の想像ですがパラリンピックに出た人も、恐らく上述のような心理状態を乗り越えてきていると思うんですよね。

そして私が常々思うのは、比較というのは苦しさや惨めさを増長させるものだということです。

比較は「自分の持っているもの」と「人の持っているもの」の違いをハッキリと実感することに繋がります。本当に終わりが無い、キリがないです。

 

また一口に「足の障害」といっても、「片足だけなのか」、「膝関節はあるのか」等によって、対応出来ることやその補助、活かす方法もまるで違ってきます。

同じ障害枠だとしても、全くの平等・同じスタートというのはあり得ません。

もちろん競技として成立させる為には、線引きや点数係数の調整等がどうしても必要となります。選手から見れば文句もあるでしょうし、納得いかない部分もあるのでしょう。でも今の自分の全てを使って競技に打ち込むその姿に、私は色々なことを考えさせられました。

 

「多分自分にもまだ出来ることはあるはず。ここで終わってたまるか!」と思いました。

とても不思議な気分です。自分は元々打たれ弱く、今も精神的にギリギリなはずなのに、なぜかそう思える自分もいるということに。

 

 

4、一歩を蹴りだす為の足場

ここでこの記事の本題に入りますが、私は頑張ったり何か新しいことに挑戦する時には、踏ん張ることの出来る、あるいはそこを基に蹴りだす為の「足場」が必要だと思います。

 

この間ランニングをしていた時、ふと「あの道はどこに通じているんだろう」と思い、初めての道を少しドキドキしながら走ってみたのです。ただその時はコンタクト無し(左右差が大きく距離感がつかみにくい状態)で走っていた為、恐る恐る走るしかありませんでした。

普段は眼鏡とコンタクトを併用している為、距離感の問題もそこまで酷くはありませんが、コンタクトが無いと思い切り走るのが怖いのです。行動する時の突貫力が落ちてしまう感じです

そしてその時に「今も目に問題が無い人なら、こんなにおっかなびっくりじゃなく、普通に走れるんだろうな」と思ったのです。

そして目に限らず何か体に不便なものを抱えている人は、知らない道を通ったり、初めてのことをするときは、慎重にならざるを得なくても仕方ないんだなとも思いました。

 

そしてそれは走る時に限らず、人生においても通じる部分があるのではないかと思います。

何か行動したり、新しいことに挑戦する為には、力を出しても大丈夫だという状態を必要とするんだと思います。

それは人によっては「安心して行動出来る体」かもしれませんし、「家や家族等の帰ってくる場所」かもしれません。あるいは「何があっても進むのだといった信念や覚悟」のような心理的なものかもしれません。

そのようなものが一つも無い状態では、人は安心して地面を蹴り、前に進んでいく事は難しいのかもしれません。その為大事なことは、目標そのものはもちろん、その目標に向かって進む為に、自分が踏ん張ることの出来る足場のようなものを少しずつ作っていくことなのかもしれないと思いました。

 

 

5、最後に

人は頑張れという言葉を何気なく使いますし、自分自身に対しても「もっと頑張れ」、「出来てないぞ」という言葉をかけます。

でも頑張れる時は人から言われなくても頑張れますし、頑張れない時はやっぱり頑張れないんです。頑張れるくらいなら、とっくに頑張っていますよね(笑)。

 

頑張ることが必要な時は、踏ん張る為の土台が必要です。逆に頑張れない時は、遠くの目標を見るのではなく、「今は踏ん張る為の土台作りをしているのだ」と思ってもいいのかもしれません。

今辛い時間に耐えているこの時も、自分が何かに向かって進んでいく為の足場作りにきっと繋がっているはずです。